定年後の読書ノートより
ルーブル博物館、世界の博物館―10、講談社
ルーブル博物館を訪問したのは、1991年9月28日だった。パリでは、ルーブル博物館の外、ラ・ビレット、発見の殿堂、国立科学博物館、ポンピドー博物館、狩猟博物館、オルセー美術館を訪問。ホテルはチェイルリ公園横の五つ星ホテルムーリスだった。フランスでは博物館も美術館も同じMUSEE。講談社博物館シリーズは1988年版。従って、あのピラミット型ガラスばり地下入口もこの本にはまだ紹介されていないし、この時点ではまだオルセー美術館もなく、ミレーの「晩鐘」はルーブルにあることになっている。しかし、我々がルーブル博物館を訪問した時点では、これらの絵画はすでにオルセー美術館に移設されていた。

英国の大英博物館とフランスのルーブル博物館は、いずれもヨーロッパ絶対王政と植民地収奪時代の国家権力を誇示する歴史的象徴物。しかし、ナポレオンエジプト遠征の際、百数十名の学者や図工を同伴、その後「エジプト誌」を発行した文化的業績はすごいと思う。ロゼッタストーンとオベリスの銘文から古代エジプト象形文字を解読したシャンポリオンはルーブル博物館初代古代エジプト部長だった。

僕が一番感動を受けたのは、「モナ・リザ」ではなく、ミロのビーナスでもなく、サモトラケのニケ像だ。大階段の踊り場に飾られたニケ像を下から仰ぎみた瞬間の胸のとどろきは、今も忘れられない。

飾られた絵画は、19世紀前半まで。それ以後の絵画はオルセー美術館に飾られている。しかしルーブル博物館の何れの絵画も200号近い大作ばかり。これらの中で、特に印象強く忘れられないのは、ダウィドによるナポレオン戴冠式の図。1804年パリ・ノートルダムで教皇の手から帝冠を取り上げ、自分で頭上にのせ、続いてひざまずくジョセフィーヌに、ナポレオン自ら冠をおこうとしている図。いかにもルーブル博物館にぴったりの1枚。

好きなのはドラクロア、人肉食肉事件と騒がれた漂流者を描いた「メディーズ号の筏」、トルコ軍の残虐行為への抵抗を描いた「キオス島の虐殺」、オリエントムード流れるアルジェリアのハーレムを描いた「アルジェリアの女達」、寵愛の女達の殺害を見つめながら王宮に火を放った古代アッシリア最後の王を描く「サルダナパールの死」、1830年フランスパリ7月革命を描いた「民衆を導く自由の女神」、どの1枚を見てもその絵の迫力のすごさに感動の身震いがする。

こうして、大きな博物館シリーズ豪華本を見ながら、再度世界的博物館の感動を味わい、悦びを新たに出来るのは、矢張り本という素晴らしさのお陰だ。

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