定年後の読書ノートより

フランス勤工倹学の回想―中国共産党の一源流―何長工著、岩波新書
著者は1917年、湖南省の工業学校を卒業した。しかし当時の中国は卒業イコール失業を意味した。彼は多くの親類から金を借りて、フランスに渡ることを決意した。当時フランスは中国労働者を、第1次大戦後の人手不足を補う意味で盛んに応募していた。著者は幾つかの難関を突破してフランス行きを獲得した。

当時中国人の多くは猪仔として、麻袋に詰められ、労働力として東南アジアに売られていた。留仏も猪仔に通ずる側面が多くあった。しかし青年たちはそんな環境に負けず、フランス語を学び、情報を交換し、労働しながら、学ぶ生活を勉めた。

第1次大戦後のフランスは、まだ荒廃のなかにあった。激しい労働だった。ブドウ園での労働もあった。建築現場でレンガ運搬もやった。しかし学ぶ周囲にはフランス共産党の闘士も数多くいた。政府公金を横領し、苦学生に学費を配布しない政府役人への闘いの経過で、青年達は闘いの生活を学ぶ。のちに中国共産党の指導者となる周恩来等多くの青年達も一緒にフランスルノーの自動車工場で働いた。

生活は貧しかったがフランスで青年達は中国共産党ヨーロッパ総支部を組織した。官僚達のピンはね事件以後、留仏勤工倹学生は社会運動、反抗への運動に積極的に参加していった。かって中国では可成の地位にいた中高年の紳士さえも青年達の反抗組織に加わった。生活は苦しかった。しかしお互いの団結は固かった。

我々の学習の主なものはフランス語習得であった。我々は多くの啓発雑誌も発行した。「赤光」は我々留仏勤工倹学生の理論学習誌であった。こうしたフランスでの体験は、その後の祖国解放運動に大きく役立った。我々留仏勤工倹学生の仲間はあの長征に参加し、中国の基礎作りに参加していった。(この本ではこうした人々が、文化大革命でどんなひどい目にあったかは、書かれていない。それを補う意味で訳者の注記が巻末に充実している。)

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