定年後の読書ノートより

タシケントはパンの町、A.ネビェーロフ著、大橋夫妻訳、理論社刊
過日神田神保町を歩き、シルクロードに関する本とトルストイに関する本合わせて5万円ほど買い漁り、自宅託送した。その日、最初にある古本屋で発見したのが本書「タシケントはパンの町」。トルストイの大長編小説「戦争と平和」を読み終えたら、次は是非「タシケントはパンの町」を読んでみたいと心待ちにしていた。

1921年、革命直後のソ連に想像を絶する飢餓が襲った。干ばつと反革命国内戦による大地荒廃は、2千万人の国民を餓死させた。当時町中の犬も猫も食い殺され、飢えた人々は肉親の死体を切り刻んで食べたとある書物には書いてある。子供達が生き延びる道はただひとつ、南の豊かな穀倉地帯タシケントにたどりつくことだけだった。3百万の人々が、南の国タシケントへと逃げ延びた。「タシケントはパンの町」この合言葉は人々の記憶に長く残った。

このロシア大飢饉の様子は、時々TVの衝撃映像として、茶の間に登場する。しかし、飢餓の実像をいつかノンフィクションとして読んでみたいとかねがね考えていたが、神田神保町散策で、思いは達せられた。「タシケントはパンの町」と題したこの少年向け物語は、1923年に他界した農村出身貧乏作家ネビェーロフが、実際に飢餓の村から脱走し、長い無銭旅行を重ねた上タシケントに辿り着き、食料を得て家に戻れば、母1人はすでに死の床にあったという実話に基いて書いた自伝物語。

この本は、作者の実体験に基く、青少年向け歴史物語である。

広大な大草原に伸びる1本の列車レール、違法乗車しようと目論む一群は、夜の鉄道線路の枕木上を無人駅を目指して歩み続ける。線路の両側、至るところに行き倒れの死体が累々とし、数日間何も食べていない一群に野犬は容赦なく襲ってくる。無人駅に先着者がいれば、彼等は、侵入者に襲いかかり、きっとポケットに残る小さなパンの皮さえ奪いとってしまうかも知れない。そっと遠くから無人駅を伺う。野犬はどんどんと集まってくる。息をひそめて、無人駅の様子を伺う間にも、またひとり仲間の老人が力尽きて道に倒れる。野犬はすぐさま死人におそいかかり、血に汚れた牙をむいてこちらを睨む。

これほど恐ろしい小説を読んだことはない。身の毛がよだつ地獄物語だ。そしてこれは1921年ソ連が実際に経験した飢餓の真相である。社会主義ソ連はこんな地獄の中から、第1歩を歩み始めた。ウズベキスタンの隣国カザフスタンの大草原は今もその地図には「飢餓のステップ」と正式呼称され、1921年の飢餓を歴史的に記憶しようと努められている。

ウスベキスタンでは、何処に行っても、社会主義の悪口は聞いた事はなかった。しかし社会主義へのノスタルジアも同時に聞いたこともなかった。複雑な国民の心の内をそれ以上問いただすこともしなかった。今回「タシケントはパンの町」を読んで、ウズベキスタンの人々の社会主義への複雑な思いの裏には、他国人には語れないウズベキスタンの豊かな国土に対する自尊心が隠されているかも知れないと思っている。文化大革命に揺れた中国では、人々は社会主義の悪口を平気で口にする。しかし、ウズベキスタン・タシケントの人々は、自国の豊かさに幸せを実感し、かって多くの人々を救ったのはタシケントであることを、或る意味では誇りに思っているのかも知れないと思う。

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