定年後の読書ノートより
中央アジアの歴史と現在、ユーラシア・ブックレット#7、東洋出版
著者宇山智彦氏は北大助教授、中央アジア・旧ソ連イスラーム諸国の読み方(ダイアモンド社)の共著者の1人。この本を読んで面白いと思ったところを抜書きする。
  • 1920年代のソ連でスターリンの路線に反するとされたエリートが次々と失脚していく過程で、中央アジア知識人達は何かといえば疑いや、非難の対象、1936年から1938年の大粛清の中で、次々と消えていった。その結果、国家・党の公式路線に沿わない言動を自主規制する習性が中央アジア国民1人1人の身についた。
  • 1929年に全面的な農業集団化が始った。遊牧地域では、強制的な定住化が推進されたが、畜産の飼料基地や畜舎の整備が行われないまま遊牧民を移住、集住させた結果、飼料と水不足で家畜が大量餓死、穀物生産も農地拡大に関わらず低下、猛烈な飢餓と疫病を招き、30年〜33年にかけてカザフ人の42%、175万人が犠牲となった。(飢餓のステップ)
  • 戦後の中央アジアでは、工業化と農業開発が着々と進められた。それはアラル海の縮小など環境破壊につながる面も持っていたが、中央アジアの人々の生活水準は確実に上昇したことは否定出来ない。ロシア人と中央アジア人との間の暴力的紛争はほとんどおこらなかった。
  • ソ連崩壊後、ソ連時代の形式的な民族自決に基く共和国が最後に有効性を発揮した。まがりなりにも行政経験を積んできた共和国指導部は、自壊した中央権力の受け皿になることが出来、民族運動に依拠しない独立が比較的スムースに実現された。
  • 中央アジア諸国の政治体制はいずれも権威主義体制と呼ぶことが出来る。権威主義体制とは、複数の政党、利益集団などが政治に影響をあたえるが、限定的。共産党などの独裁による全体主義と、多様な政治勢力が発言権を持つ民主主義との中間である。中央アジアは精巧な支配的イデオロギーを持たない。全体主義とも民主主義とも異質である。大衆の政治参加や大衆の政治的動員はあまり行われない。国民の政治的無関心が醸成され、国家は都合のよい時に、人的、経済的資源を動員し自らを強化するが、社会の全面的な統制は目指さない。
  • 中央アジアの権威主義体制について、日本では経済改革を効率的に進める為に政府に権力を集中させていると解釈されている。しかし実状は、政府の指導が民間の力を引き出すという東南アジア的な経済成長政策ではなく、民営化は形式的で、政府が産業の自由な動きを抑えるソ連型システムが温存されているに過ぎない。権威主義体制は大統領周辺の権力基盤を強め、言論統制や反対派排除を行い政治はお上に任せよという強い大統領、弱い国民という関係の上に成りたっている。したがって体制への不満、批判は地下に潜り、過激化させる危険がある。イスラム運動に対する政府の対応からも警察国家化の危険が見える。

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