定年後の読書ノートより
88歳の秋―若月俊一の語る老いと青春、南木佳士著、岩波書店
著者南木佳士氏は岩波新書「信州に上医あり」を書いた佐久病院の内科医であり、「ダイアモンドダスト」では第100回芥川賞受賞。この1作を生涯最高の傑作にしたいと意気込んで書き上げた本書だけに、読後大きな感動を覚える。

名医若月俊一は、88歳。1998年8月腹部大動脈瘤破裂で大手術を受ける。若月俊一に心酔する著者は、術後の老人に、氏の人生を4日間にわたって尋ね、1冊の本にまとめた。若月俊一が、戦中治安維持法違反で1年間留置所に置かれた後、東大大槻先生に勧められて信州佐久病院にやって来たのは終戦直前だった。あれから50年、1000ベッドを数える巨大病院にまで成し遂げた先生の若き青春を尋ねる。

小学時代若月は全甲のエリート小学生だった。府立1中2年関東大震災で家は全焼。1中制服すら買えなかった貧困化した若月氏は、次第にマルクス主義に傾倒していく。どちらかといえば、アナーキーであった。松本高校理科から1年浪人して東大医学部に進む。随分とマルクス主義を勉強した。身体が弱かった氏にとって、入党=死を意味した。動揺はあったが、純真な氏は、マルクス主義に徹した政治家こそ人々の幸福に尽くせると考えていた。死を覚悟する党活動に入る決意後も、いざとなると動揺してずるくたじろいてしまう、どうにも出来ない自分があった。

しかし後年、自分の理想と現実生活との乖離をずるいという表現を使いながら、そう認識し続けることが、したたかに生きるという上では非常に大切だと若月氏は殊更に自分はずるかったと語る。

ずるさ、いいかげんさという表現を通じて、現実と折り合いをつけていくには、純粋だけを正しいとする若者のような気持ちでは、結局しなやかに生きていけなくなるという氏の信念が氏の人生の最終において、語りたいところである。

他人が想像するほど、自分は悲壮な気持ちで山村医療現場に来たわけではない。ここでやろうという明るい気持ちでやって来たと氏は語る。激動の昭和をたくましい心身で生き抜き、しかも弱者の身になって生きてきたしなやかな名医若月俊一88歳の人生。

自分はエッセイ「人生回廊」で数多くの名士人生回想を読んだ中で、若月俊一に注目した。それは冒頭の氏の一言が胸をついた。「私には、いいかげんなところがあるんです、もともと。だから、ここまで生きてくることができたと思ってます。焦っちゃいけない。88歳のなった今も、そう思っています」。

長い人生を生きてきた人だけが言えるすごい言葉の重みを実感した。

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