定年後の読書ノートより
渡辺一夫敗戦日記、串田孫一、二宮敬編、博文館新社
今日はすごく素晴らしい本を読んだ。加藤周一氏の「羊の歌」で本郷「白十字」レギュラーメンバーとして「私がいちばん強い影響を受けたのは、おそらく、戦争中の日本国に天から降ってきたような渡辺一夫助教授からであったにちがいない」と書いておられ、「もし渡辺先生に接する機会がなかったら、あの時代正気を保ちつづけることは出来なかっただろう」と述懐されておられる。

その渡辺一夫先生の敗戦前後の日記が、先生が亡くなられた1975年5月、偶然発見された。日記は微妙な表現はフランス語で書かれ、1945年3月11日から始っている。6月6日には「この小さなノートを残さねばならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない。この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる1人の若い男が、この危機にあってどんな気持ちで生きてきたか、これを読めばわかるからだ」と書いている。

6月12日には「戦争とは何か、軍国主義とは何か。狂信の徒に牛耳られた政治とはなにか、今こそすべての日本人は真にそれを悟らねばならない。しかし残念なことに、真実は徐々にしかその全貌を露わにしない。地方では未だ最後の勝利を信じている。目覚めの時よ、早く来れ!朝よ,早く来れ!我が国にとって、また人類にとって、この犠牲は無駄ではあるまい。多少なりと着実な「平和」は、おびただしい流血と苦悩の叫喚を経ずして得られるものではない。

6月20日:末期的資本主義、史的唯物論、コミュニズム、ファシズム…こうしたものすべてが、幻燈に写し出された途方もないフィクションのように思われることがある。現実として残るのは、人間理性の手からあれこれの詭弁を弄して逃れ出る獣性、動物性のみだ、と。こういう見方からすれば、あらゆるイズムは各国が自己正当化のためにふりかざす、嘘で固めた口実にほかならない。しかし血が流されれば流されるほど、人間の善き意志はいっそう強固となり、人々の心に広がっていく。

巻末に二宮氏も書いておられる「西ヨーロッパのヒューマズムの根源に分け入ってこれと正面から取り組み、日本人としてこれを骨肉化した知識人が、孤立の中で知識人のありかたを考えていかに苦悶し、いかに正確な判断を下そうとしていたかを示す数少ない実例」として、本書の価値は貴重である。

素晴らしい本を読んだあとは、いつも昂奮で、生きているのが光輝いてくる。

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