定年後の読書ノートより
読書と社会科学、内田義彦著、岩波新書
本をどう読むか。読書会は有用であるというだけではなく、楽しくなければならない。楽しくあるための鍵は、参加者一人一人がどの程度聴き上手であるかにかかっている。話上手である前に、聴き上手でなければならない。

本の読み方には、情報を得る読み方と、情報を見る目の構造を変える読み方がある。情報をもう少し眼の奥のところで受け止め、自分の眼の構造を変え、生き方を変えるそんな読み方を「古典を読む読む読み方」と称す。

古典は一読明解ではない。再読によって、本の味は次第に変ってくる。古典は踏み込んで、眼を皿のようにして、文章と格闘することによって、中味が替ってくる。

新聞のニュースは、誰もが一読して理解できるように書かれているが、古典は丁寧に読めば読むほど理解が違ってくる。

古典を読むとは、概念装置という、物を見る為の装置を、脳髄の中に組み立てる為に読むという任務が常に含まれており、社会科学の本を読むということは、概念装置を自分の物にするということが、不可欠である。

それだけに、先ず本を信じてかからなきゃ踏み込めない。適当に読んでいては概念装置まで迫ることはとうていできっこない。へなちょこな本を読んでばかりいると、踏み込んで読むくせが、つかなくなる。本を丁寧に読む為には、読みっぱなしにせず、まず書くという作業で、感想をまとめておくことが大切である。

読後感という、公開を前提とした文章を書くことは、本を読む上で、絶対に必要なことです。この本と思った時には、自分用のノートにまとめるだけでなく、他人に理解可能な文章に、まとめあげる労苦を払わねばならない。自分を本にぶつけるのではなく、本をつうじて著者が言いたかったことを、耳を澄まして自分で聴き取るようにしなければならない。

読書は宝探しと同じです。思わざるところに、思わざる宝を見出す術を覚えることです。死んでしまってからしまったと思わないように、生きているうちに、お互い、注意深い耳をもって聴く様にしなければならない。本当の批判力は、俗眼に見えない宝を、未だ宝と見られていない宝を、宝として見抜く能力です。

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