定年後の読書ノートより
世界の歴史―西域とイスラムー岩村 忍、中公文庫
73頁に及ぶ西域とイスラムの歴史を体系的に解説した概説書。こうした本を最初にきちんと読んでおけば、断片的なイスラム知識も西域物語も、自分の中できちんと整理出来るはず。しかし、こうした大きな概説書を読むのは疲れる。しかも、表面だけを走らずに、きちんと筋を引いたり、注記を書き添えたりして、自分なりに味わって読んでいくと、この本も益々重くなる。
  • メソポタミア文明はシュメール等セム系民族によって確立されたが、アーリア系民族の浸入により、メソポタミアは滅んだ。
  • アーリア系民族はアケメネス帝国を建てる。帝国の国教はゾロアスター教で、明暗対立の2神教である。アケメネス帝国はアレキサンダー大王によって滅ぼされる。その後イラン系ササン王朝が起こったが、7世紀イスラム教徒のアラビア人により、イスラム一色に塗りつぶされる。
  • 中国は農耕経済、唐代仏教は上流階級のものだった。中国は中国より西にある地域を西域と呼んだ。西域の文化は7世紀イスラムガ中央アジアに進出して大きく変化した。
  • 19世紀イギリスとロシアの中央アジアをめぐる闘い。「さまよえる湖」ロブ湖発見のヘディン。古代の「絹の道」は楼蘭を通過、タリム川とロブ湖の不思議な関係は、「漢書」にも書かれている。
  • 敦煌千仏洞の秘宝発見はスタイン、1907年。敦煌の管理人王道士は、無断で西洋人に秘宝を売り渡した罪で清朝により処刑された。アルタイ山脈には金も出る。「金の道」「草原の道」という言葉もある。大部分は草原で、砂漠も多い。ムギと羊が主要産物。
  • 遊牧民族は強固な結合を必要とする。この社会集団は父系社会で、家父長権が強い。オアシス農業はカレーズによって可能になる。キャラバン貿易は、オアシス都市のバザール商人の手中に握られていた。
  • 羊の集団遊牧に適する頭数は6百頭前後。馬を使用すると、管理は大きく拡大出来る。砂漠、崖、谷にはクルマは用をなさない。月氏、ソクド人、はアーリア系ペルシャ人。ゲルマン民族大移動は、遊牧民フン族の圧力が原因。フン族はきょう奴の後裔。
  • アケメネス帝国の制度の内で、道路と駅伝制度は影響を与えモンゴルも駅伝制度を敷いた。
  • アフガニスタン東南部はガンダーラといい、紀元2、3世紀、この地方に仏教芸術が栄え、これをガンダーラ芸術という。
  • 奈良正倉院御物のうち漆胡瓶、八曲長杯はササン朝ペルシャの影響。ササン朝は651年新興アラビア人によって滅ぼされた。ササン朝の残党は東に亡命した。胡とは、イラン系女性を意味し、胡姫は唐代の詩人李白も謳っている。色白く、鼻高く、碧眼で、楽器、胡舞に通じ、胡のブドウ酒は当時の中国金持ちのあこがれだった。隋・唐時代の突蕨、奏・漢時代のきょう奴。
  • 中央アジアのオアシス住民も、草原の遊牧民もアーリア系民族だった。サマルカンドには、ゾロアスター教、マーニ教、仏教という3大宗教が存在した。イスラムには僧侶階級が存在しない。11世紀になってイランのイスラム化が完成した。サラセン文化はギリシャ・ローマ文化の大きな影響を受けた。中国ではアラビア人のことを「大食」と呼ぶ。
  • ジンギス・ハーンは世界史上最大の征服者である。彼はアレキサンダーやナポレオンより政治家としてはるかに上だった。東トルキスタンを征服したチンギス・ハーンは、西方の強大なイスラム国家、ホラムズ帝国と衝突、ブハラ・サマルカンド落城の壮烈を極めた。
  • 農耕社会では、一度固定すると変化が少なく、指導者の才能が重要な役割を演ずることは少ないが、危険がともなう遊牧社会は違う。遊牧民は指導者いかんで、運命を左右する。ハンガリー人はもともと中央アジアのトルコ系遊牧民族であったが、チンギス・ハーンに攻められた頃には、農耕民族に変化していた。マルコポーロ以外に、紀行記を書き残しているのはわずかしかいないが、当時数千数万の西洋人が極東に出かけていた。
  • イスマイリ派はイスラム教徒ではあったが、神秘思想に徹し、ハッサンが暗殺集団を形成した。「秘密の花園」からの暗殺者は当時西アジアに恐怖を巻き起こした。「山の長」の宮殿は主君の命令に絶対に服従する暗殺者の集まりであった。世界で1・2といわれる大富豪アガ・ハーンはイスマイル教団の教主である。
  • 中国を支配したモンゴル人は、中国文化より西方文化に興味を持ち、宮廷ではモンゴル語以外には中国語ではなく、ペルシャ語を使っていた。
  • 14世紀には、福建省泉州には数千人のヨーロッパ人が在住していた。キリスト教会も3つあった。このころから東洋は西洋に対し、受身の時代に入った。1403年スペイン王国カスティラ王国クライホはチムール王国サマルカンドを訪ね、東洋紀行を書いている。チンギス・ハーン一族の墓は未だ発見されていない。
  • ロシア進出にコーカンド・ブハラ・ヒバの王国の抵抗は、近代兵器の前に空しかった。1870年ロシアは西トルキスタンの征服を終えた。ロシアは早速トルコマン人の奴隷商売を止めさせた。それまで、ヒバでは大きな奴隷市場が繁栄していた。テケ・トルコマンの壊滅は、中央アジアにおける遊牧民の軍事的、政治的勢力の結末を象徴している。
  • ロシアは北から、イギリスは南から中央アジアを伺い、1882年アフガニスタンの国境協議。1895年アフガニスタンワッハン回路地帯設定。こうして直接的衝突を避ける。中国新疆省での2大帝国の衝突も同様に避けられた。
  • 第1次世界大戦の結果、オスマン帝国は崩壊し、トルコが民族国家として再出発すると、ナショナリズムは旧オスマン帝国領内の各地に波及した。アラビアに反トルコの反乱が起きると、イギリス諜報機関ローレンスは、反乱軍の指導者ファイサルの軍事顧問として大活躍した。
  • キャラバンは自動車にとって代られ、遊牧という生活そのものが、消滅の危機にある。アフガニスタン・イラン。イラク。アフリカの人口密度1平方キロに20人、日本、台湾では1平方キロに265人、355人。
  • サマルカンド等イスラム教国の第2次大戦以後の社会主義化。砂漠の近代化、アム川の灌漑。そして、社会主義の崩壊と灌漑の公害問題。オイルダラーによってもたらされた近代化。イスラム諸国におけるアンバランスな近代化。そして最後にこの本の巻末には西域とイスラムに関する興味ある年表が附いている。

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