定年後の読書ノートより
文化人類学への招待、山口昌男著、岩波新書
いつか読みたいと本箱に眠っていた岩波新書「文化人類学への招待」を取り出して読んでみた。最近あるひとに刺激を受けて、マリノフスキーの「西太平洋の遠洋航海者」と、レビィストロースの「悲しき熱帯」を読もうとしているが、そもそも文化人類学とは何か、山口さんの本をのぞいてそれなりに知っておきたくなった。

山口さんずばり曰く、「たとえば結婚一つとってみても、われわれが考えている形が絶対的なものでないことはだんだん判ってきた。ですから、人類学は、自分達が当たり前だと思っていることにいろいろな変種があるということを明らかにする。その変種のなかでもかっては日本よりヨーロッパが上であり、そこに近づくように努力し、それ以外のものはみんな程度の低いものだと考えてきたが、そのような変種の、背後にある意味を考えていくと、今日、その違いは、程度の高低の違いではなく、人間のあり得る姿のひとつという意味で、ひとつ一つは全く対等なわけです。ですからわれわれは、いろいろ有り得る姿のうちの一つを、自分達のものとして知っているに過ぎないけれども、それはほかの形で現れうるものなのです」と。

文化人類学は、時代の知の表層の部分では役にたたず、深層の部分で役立つということを意味する。我々が普通見慣れているものが唯一絶対的なものではないということを明らかにする。

「クラ」とは、遠洋航海によって到達できる他の島の一定の人々と特定の「財貨」の交換行為を示す言葉。腕輪と首飾りのバァギを交換するために、大航海を敢行するのが、クラの主な行為です。クラは循環交換によるコミュニケーションの体系である。クラの財貨は、金に換算出来ない価値のものであり、それ自身の美的なすばらしさが重要。この交換は、経済的な交換というより「象徴的交換」である。交換は文化を活性化させる原動力であるから人類学では重要です。

マリノフスキーとラドクリフ・ブラウンの実証主義・機能主義的な人類学、フィールドワークを中心として、家族および種族に関する社会現象を説明する機能論。

エドマンド・リーチやレビィーストロースは文化の目に見えない、隠れた論理をとにかく掘り起こす論理主義、構造主義。構造人類学では、「交換」の問題を文化理論の基礎においている。自然と文化、結婚出来る女性と結婚出来ない女性にわけることからレビィーストロースは始めた。抑制はコミュニケーションの最低の前提である。人間の行為には何か我慢したり、いろいろな事情で欠けているところが出発点になる。クラには限定交換ではなく、一般交換が開かれた形として残っている。

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