定年後の読書ノートより

城の崎にて、志賀直哉作、新潮文庫
山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねない。但馬の城崎温泉に出かけた。宿の2階、蜂が屋根で死んでいるのを見つけた。大雨の降った次の朝、蜂の死体は何処かに流されていった。如何にも静かであった。

散歩の途上、人だかりする川を覗いたら、首に串が刺さったネズミが必死で逃げようとする姿を見た。子供達の投げる石を避けて、のどに刺し通された串を引きずってネズミは必死で逃げる。死ぬに決まった運命の中で、ネズミは必死でもがいていた。

ある夕方、川の中にいもりを見つけた。いもりを驚かしてやろうと石を投げた。石がいもりに当たることなど考えてもいなかったが、いもりは石に当たって動かなくなってしまった。いもりにとっては不意の死であった。可哀相に思うと同時に、生き物の淋しさを感じた。あれから3年になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。

短編である。静かな、無言の湯治養生の3週間、主人公がじっと見つめた3つの死の様相。

死ぬとどうなるか死の間際の断末魔。そして、いつ死ぬか、死の訪れ。この3つを淡々と目前の生物の中に見て、死の怖さから解放されていく主人公。

心理の動きを作品の中に見ていこう。

死ぬとどうなるか。蜂の姿を見て主人公はつぶやく。死骸を見ることは淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。死んで墓の下にいる、その静けさを自分は書きたいと思った。

死の間際の断末魔の怖さを作者はもがくネズミに見ていた。今自分にあのネズミのようなことが起こったら自分はどうするだろう。自分はやはりネズミと同じような努力をしはしまいか。あの事故の時、自分は致命的なものかどうかを気にしながら、殆ど死の恐怖に襲われなかった。自分でも不思議だった。普段考えているほど、死の恐怖に自分は襲われないだろうと思う。そんな場合でも、あるがままの自分でいればそれで良いのではないかと思う。

いもりに訪れた突然の死。死ななかった自分は今こうして歩いている。しかし実際喜びの感じは沸き上がってこない。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではない。それほど差がないように思う。

作者の死に対する見方は、静かであり、落着いており、力まず、昂奮せず、自然であろうと務めている。これがこの作品をりんりんとして読む者に、静かな緊張感を持たさせている秘密でもある。

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