定年後の読書ノートより
生命の未来図―私達は何故死ぬのかー柳澤桂子、NHK人間講座
モルヒネでも耐えられない激痛の谷底から奇跡的な生還を成し遂げた遺伝子科学者柳澤桂子氏の人間講座は毎回感動してお聞きした。特に3月11日の生命論は素晴らしかった。ビデオで何度も聞き直した。その度に、一度死から生還した人は絶対にウソを語らないと思った。一言ひとことにすごい重みがあった。

「死は必ずしも老化の執着点ではない。サケやミツバチは若さの盛りに突然寿命が尽きる。生命の歴史は死の歴史でもある。原核生物は環境が増殖に適している限り増え続ける。紫外線は細胞の中のDNAを破壊するが、修復する能力を持つ細胞が現れ、原核生物は生き残り、増殖を続けてこられた。しかしDNA修復に失敗した原核生物の多くは死んでいかねばならない。ここに生存に不利になった寄生物が宿主を殺すという機構が発達した。これがアポトーシスという細胞を自死させる機構である。哺乳類では、DNAが修復不可能な損傷を受けると、D53という遺伝子が活性化されて、細胞はアポトーシスを起す。

細胞内分子の酸化による損傷の蓄積と分化の進行は細胞の老化をもたらす。死の単位は、まず細胞であります。

自意識と無の概念は死への怖れを生みますが、死への歩みは、成熟、完成へと向かう歩みでもあります。死は生を支え、生を産み出します。1つの精子の生のために、おびただしい数の精子の死があります。死は生と同じようにダイナミックな営みです。生命の歴史は死の歴史でもあります。

多細胞生物にとっては、生きるとは少しづつ死ぬことです。私達は、死に向かって行進する果てしなき隊列です。何故死ななければならないのか、それは私達が多細胞動物だからです。

自然は冷酷です。私達がどんなに苦しくても、悲しくても、個人の死という計画はきちんと実行されます。

38億年という想像を絶するような長い時間を生殖細胞を通して受け継がれてきた遺伝情報が消滅する瞬間としての死。生命の大きな流れからそれて、死の運命をおわされた体細胞によって構成される個体が消えていく瞬間としての死。死は決して脳波が平坦になった状態だけでなく、心臓が止まる瞬間だけでもありません。

いのちには38億年の歴史の重みがあり、100年の意識の重みがあるのです。その人をとりまく多くの人々によって共有されるものでもあります。死は生命の歴史と共に、民族の歴史、家系の歴史、家族の歴史、個人の歴史全てを包含するものです。」

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