定年後の読書ノートより
64歳になったら、三木 卓、小学館
随筆集、しかし、あまり面白い随筆とは思わない。随筆の魅力は、常日頃、ふと胸に浮かべるよもやまを、文章に軽くまとめたくつろぎの時間が楽しいはずなのに。

三木の随筆と自分の胸の内との間には共通な感情が結晶されていない。タイトルは「64歳になったら」と、正に自分の年齢を謳っているというのに。

ビートルズの歌の中に、「64歳になったら」という題名のポール・マッカートニーの曲がある。「僕が64歳になった時も君はあのワインを贈ってくれるか」という曲。

イギリスの労働者階級は、64歳においての幸福観の充実こそ人生の理想だそうな。

三木曰く、自分の人生を苦しめたのは家賃と住宅ローンだったと。しかし、今は世の中とか、人間とかというものに対するあこがれというか幻影が、次第に自分の内面から去っていくという。

飾りが剥げ落ちて、人生や世の中の実体が見えてくると三木はいう。定年退職を迎えると、役職の価値も記憶から消えていく、何の価値のない実体に過ぎなし、全ての幻影はベールを剥がされたかたちで、ありのままの姿と機能で見えてくると三木はいう。

作者曰く。老年とはいろいろなものを辞めていくプロセスであると。それは同時に自己の利害関係で対象をみることから、解放されていくプロセスでもあると。人間は自らの意志で利害関係から自由になるには、若い時は多大な努力を要するが、老年はいやおうもなくそういう立場になっていくと。

体験している最中にあるときは夢中で、その実態が見えているとはかぎらない。利害関係にふりまわされて正体を見誤っていることが多い。しかし今から振り返れば、どうでもいいようなことが一杯ある。

男と女の問題も、そうだ。これから咲き誇ることになる花を見るために、人は金を出して買うのである。しおれた花や枯れ枝を見て、これを咲き誇っている花の実体だという者はいないと。だが、花が枯れることを知るのは体験である。

今でこそ見えてくる異性の本来の魅力。ああそうか、そういうことだったのか、と今になって見えてくる。64歳はまだ生悟りである。三木卓はそう書いている。

あまり面白い随筆とは思わない。

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