定年後の読書ノートより
村の家、中野 重治、ちくま日本文学全集
「村の家」は、かねがね宮本顕治氏の評論文の中に何度も引用されてきたし、自分もそんな影響から、宮本顕治氏の目を通して、この作品のストーリも、テーマもよく認識していた積もりだ。

この「村の家」は、一人の農村出身の知識人が、昭和10年5月、凶悪な特高弾圧に屈して転向を強いられ、福井の田舎に身を寄せた生活記を、泣きながら、自らを苦しめながら書き上げた作品である

それだけに一字一句しっかりと文字を拾うようにして読んだ。読み終って主人公の苦しみが思い知らされ、胸一杯になった。この作品を書き上げた中野重治の涙が伝わってくるような気持ちだった。

転向という踏み絵を中野は強引に踏まされた。しかし、彼はこの作品によって、後世に時の権力の暴力性を、リアルに書き残してくれた。我々は戦争を推進した政治権力者達に、激しく憎しみ持ち、この歴史の過ちを2度と繰返してはならないと自己に言い聞かす。

中野重治自身と推定される主人公高畑勉次に、彼の年老いた父親はぽっつりと心の内を明かす。「おとっつあんは何も読んでやいんが、おまえがつかまったと聞いたときにや、おとっつあんらは、死んでくるものとしていっさい処理してきた。小塚原で骨になって帰るものと思うて万事やってきたんじゃ。生き残り転向した男たちが書いているものは、どれもこれも転向の言い訳じゃってじゃないかいや。そんなもの書いて何しるんか。」と激しくしかりつける。そこには、転向せざるを得なかった息子への同情以上に、人間として、背筋をピンとして生きろ、例え殺されたって権力に手をつくなという父親の毅然とした隠された気高さを教えられる。

あれから65年が過ぎた。今の若い人達に、この一字一句の意味する重みが判るだろうか。

いや、階級社会が続く限り現実は全然変っていないのだ。この世の中、ものすごい数の貧困階級は、苦しみの下で歯を食いしばって生きている。一方、ものすごい力を持った金持ちは、貧困階級を苦しめ益々自らの力を大きくしている。戦争もこの階級闘争社会が背景となって勃発するのだ。未来の人民の幸福を信じて知識人達が立ち上がって闘いを挑んだ。そして、支配階級は、果敢に手向ってくる知識人達に転向という踏み絵を踏ませて、敗北させた。

この歴史的事実は、しっかりと認識し、その上で、この作品を読むならよばい

しかるに巻末に書く加藤典洋なる男、「私は日本共産党という政党を好いていない。私は全共闘運動の周辺にいた。共産主義という思想は、「違和感」しか感じない。わたしは、共産主義という思想に対しては、ただ乗りだった。中野の作品というと、暗くてねちねちしていて何か好きになれない。そこには「暗い」ものがある。しかし、わたしは、中野の「暗くてねちねち」したところは、面白いと思う。」とぬけぬけ書いて、平然としている。

こんな男に、巻末のまとめを書かせた「ちくま書房」は、中野文学の何たるかが全然判っていない。ちくま書房はもっと選評の人物を吟味したらどうか

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