定年後の読書ノートより
60年安保センチメンタル・ジャーニー、西部 邁 著、文芸春秋社(1986年発行)
図書館では定期的に不要図書を廃棄処分する。廃棄図書から拾ってきた。1985年雑誌「諸君」連載の安保回想記。元全学連委員長唐牛健太郎直腸癌にて他界を機に、ブント共産主義者同盟に関係した人脈を回想したもの。著者は執筆当時東大助教授。最近も右翼ジャーナリストとして活躍しているようだが、あまりこの人には関心を持ったことはない。

ブントとはなんであったか。著者曰く「共産党との闘争」であり、「マルクス主義も共産主義も糞くらえ、といってのける人間の集まりが共産主義者同盟だった」とのこと。

島成郎物語が語られる。中ソ干渉による所感派の武装闘争の混迷と敗北、これを機に共産党から離別して大衆迎合主義の共産党との私闘が始る。曰く、方針の貧弱な共産党の官僚体質に対する怒りがブントをして反共行動の出発点と為さしめたと。抑圧に対する解放物語とは、共産党の抑圧に対する彼等の解放物語であり、それはそのまま彼等の反共思想の原点になっている。要するに共産党に対する私闘が、共産主義者同盟の唯一の精神的支柱である。

思えば40年前、自分も名古屋工大自治会を代表して全学連全国大会に上京した。我々愛知県学連の宿舎には森田実と島成郎がオルグにやってきた。彼等のオルグ活動なるものは始めから終りまで反共演説だった。翌日の杉並公会堂で行われた全学連大会では香山健一が全学連委員長に選ばれた。その翌日、ブント共産主義者同盟幹部達が代々木党本部にデモをかけたと新聞で知った。日本の民主勢力の牙城にデモをしかける共産主義者同盟がどうして自分達学生自治の組織全学連に巣食うのか新聞を見ながら烈しい怒りを感じたことを思い出す。

西部等は東大自治会指導権力を握る為、自治会投票用紙をスリ替えたり、学生大会の投票集計を作為的に誤魔化したりし、資金面では右翼田中清玄の力を借り、彼等の法廷裁判では権力側である裁判官との取引きに応じ実刑をまぬがれた等、彼等ならさもあらんというバクロ回想記に接しても今ではもう何も驚かないが、「進歩的文化人達が民主主義を至上のものとする認識をアッピールしていたことこそ、ブントには気に食わなかった」と吐露している文章に出会って、矢張り奴等の正体見たりと実感。奴等にとって民主主義の上を行くものとして、暴力是認であり、暴力こそが彼等の主張する自由主義であり、革命への正義でもあったようだ。西部の言葉でここで引用する。

共産党はその暴力の矛先を5年前に収めていた。「平和と民主主義」「ヒューマニズムと進歩主義」のイデオロギーが暴力の組織化に歯止めをかけていた。しかしブントおよびその影響下にあった全学連主流派の尖鋭な部分は暴力への志向を、おおむね観念の領域にとどまりながらも、執拗に追求していた。我々はトロッキストと呼ばれた。その呼称には挑発者、陰謀家、裏切者といった含意がふくまれていた。それは事実である以上、間違った呼称ではない。

今にして思えば、民主主義など糞くらえ。暴力だ。共産党を叩きつぶせ。これが奴等の主張の全てであり、それ以上の何物でもなかったと改めてこの本で再確認した。

この本を読んで結論として実感したことは、矢張り当時から主張されていた如く、共産党こそ、そして多くの誹謗を受けながらも宮本顕治書記長が差し示した新綱領路線こそ、その後の日本の運命を正しく導き、中ソの大国干渉にもめげず、平和と民主主義を守り今日に至らしめた力であり、日本共産党こそ今後も信頼出来る唯一の党として我々の前に光輝いていくのだと改めて実感した次第である。

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