定年後の読書ノートより
世界経済恐慌の発生と展開、鈴木正四著、岩波世界歴史講座27
1929年に始る世界経済恐慌は、世界のあらゆる資本主義国をとらえ、経済の全部門をゆるがした。その広さ・長さ・深さなどあらゆる点で、資本主義史上かってない大恐慌となった。勤労者の生活と生産は大きく破壊され、数千万の失業者が街頭に投げ出された。フーバー大統領がその職についた29年夏、すでに農産物価格の下落、輸出の減退が現れていた。10月24日BlackThusday未曾有の株価大暴落が始った。自動車生産の急落、滞貨の増大が暴露され、設備投資の減退、破産、失業、消費力の低下が続いた。恐慌は、カナダ・中南米・ヨーロッパに広がった。31年ヨーロッパに金融恐慌勃発。9月イギリスは100年以上続いた金本位制を管理通貨制度に移行した。12月、年初に金解禁をおこなって金本位を復活したばかりの日本も、金輸出を再禁止し管理通貨に移行した。

金本位の停止は各国内のインフレーション政策の開始と重なった。先進資本主義諸国では、金本位制停止にもとづく為替安を武器として輸出の強行策が激しくなり、イギリスは保護貿易政策に転換、ブロック経済の時代となった。

アメリカの工業生産は低落を続け、33年3月全米の金融機関は混乱状態におちいり ルーズベルト大統領は全国モラトリアムを命令し、アメリカも金本位制から離脱した。

1929年〜1933年経済恐慌で資本主義全体の工業生産力は44%低下、独占資本は産業支配権を拡大した。膨大な失業者群の存在は労働条件を悪化させ、階級間格差の貧富差は拡大した。

恐慌原因としては膨大な固定資本への投資、失業者の存在、農業恐慌との絡み合い、金融恐慌の併発、があげられる。

恐慌対策としては、労働者の実質賃金の切下げ、利子率の切下げ、輸出の奨励、補助金の散布、生産制限、統制経済の実施等であったが、恐慌の深化は止められなかったばかりか、かえって回復をおくらせた。しかも恐慌対策の立案、実施の過程を通じて独占資本と国家権力との結合が強まりファッシズムは国家独占資本主義を促進するおおきなテコとなった。

ケインズ近代経済学も恐慌の影響下に生まれた。ケインズの恐慌対策は、金本位制の放棄、利子率の切下げ、増税政策の放棄と公債発行による公共事業の実施をあげている。要するにケインズ経済学は、自由放任主義を捨てて国家が経済に介入することを要求し、国家による有効需要増加策を主張し、この方針にもとずく不換紙幣の増発政策は、労働者階級の実質賃金を切下げた。

日本の恐慌は「昭和恐慌」といわれ、1927年の金融恐慌と金輸出解禁(金本位制復帰)のために強行された緊縮政策という2つの前史がある。1923年の関東大震災により大量の外貨準備を失い、金本位制に復帰強行、資本の欠如と市場の縮小、労働争議・小作争議の頻発という社会的緊張下にあった。1927年の金融恐慌は関東大震災の未決済手形の残存分の処理をめぐって、銀行の不良資産内容が暴露され、モラトリアム、株式市場の崩壊があった。

1929年アメリカ恐慌が始っているにも関わらず、日本の金本位制復帰が実施されるという時期選択の失敗により、昭和恐慌はさら厳しいものとなった。恐慌は、株式市場、商品市場、工業生産、農業生産、輸出入に大打撃あり、失業、賃金未払い、労働強化が激しくなった。生糸価格の暴落も致命的であった。農業恐慌は東北・北海道の大凶作により小作農民の貧窮を進め、娘の身売りが続出した。労働争議・小作争議が増加し、争議は政治的色彩を帯びてきた。独占資本のカルテル・トラストが進み、王子製紙、大日本ビール等は90%の市場独占をすすめた。紡績業は30%の生産制限をし、侵略と経済の軍事化、軍事インフレーションおよび為替ダンピングを利用した輸出政策によって、政府は恐慌からの脱出を求めた。

ここをクリックすれば、読書ノートの目録に戻れます。