定年後の読書ノートより
豊かさとは何か、暉峻淑子、岩波新書(1989年初版)
川柳「ゆとりある暮し求めて残業し」。豊かさの代償としてゆとりを、いけにえにせざるを得ない日本の労働者の辛い現状である。日本の労働者の幸福感とは何処に進もうとしているか。。

確かに人間は弱い存在だ。労働者の人権を主張するよりも、会社人間になりきって、仕事に生き甲斐を見出し、働き蜂を誇りに思う人間に徹した方が楽である。(そんな人間に限って社会の為、他人の為、報いを求めない行動をとらねばならない時になると、冷淡になり、自分一人が頑張ったって何になるとうそぶくものだが)。

金を貯めることを人生の目的にしていると嘲笑されようが、かって味わったあの貧しさ、苦しさは今も恐怖であり、どうしたって物と金にしがみつく生き方からの脱却は難しい。この世の中、いざとなっても、誰からも助けて貰えない不安は、矢張り人生は金であるとの古くからの哲学を今も大切にすることになる。しかし、金を手にすることと、人の生涯においてあじあうことが出来る幸せとは、本当に密接な関係にあるのだろうか。

競争社会の時代通念に最も大きな打撃を与えたのは、マルクスの理論である。

マルクスは、少数者の手に独占された巨額な冨は、労働者を搾取した結果であり、そのために大衆は貧困化したということを、体系的に理論的に論証した。このような搾取は道徳的に批判されるだけではなく、資本主義経済の内部から、経済の危機を悪化させ、資本主義経済をやがて崩壊させるとマルクスは予言した。このようなマルクスの予言を実証するかのように、労働者のストライキや失業、倒産などの社会不安が頻発している。

競争社会で冨を蓄積することに人生の目的を置くならば、どんなに効率よく仕事を仕上げても、これでおわりということは絶対にない。その結果いつまでたっても、自分の自由な時間など持てないだろう。金を貯めることは限りはないが、人生の時間は有限である。そればかりではない。他人や世界に対しても、ライバルか、損得の対象か、利用する手段と考えるようになり、万人は万人の敵になって、頼りになるのは、カネという悪循環に陥る。

ガルブレイスは「ゆたかな社会」で、人間が生産の効率至上主義から脱却できたときに、始めて幸福な豊かな社会とは何かを考えることが出来ると書いている。ガルブレイスは、あやつられることのない、自立的な判断を持ち、社会福祉を作りあげようとする人間を育成するのは教育であり、公共の第1の任務は教育であると主張している。

作者は生活経済学を専攻する日本女子大学教授。長くドイツに留学し、ドイツと日本の豊かさの違いを実体験より書いている。

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