定年後の読書ノートより
シルクロード(上)、ヘディン著、岩波文庫
「真夜中、テントを吹き飛ばさんばかりの烈しい南西の嵐に目を覚ました。全隊員をおこした。テントの杭をすべて、凍った地面にさらに激しく強く打ち込んだ。ガソリンかんをテントの裾の重しに使い、軽いテントの住まいを嵐に耐えられるようにした。風はひゅうひゅうと、ほえるような、すすり泣くような音を立て、テントははたはたと激しくはためき、ゆがんで引き裂かれんばかりであった。風の中から懸命に掛け声を掛け合ったり、気をつけろと叫ぶ声が聞こえてきた。しかしやがて風はおさまり、すすり泣くような風の音だけが、一晩中ひびいた。」(シルクロード:72ページより)

「あたり一帯すべて不毛の地である。赤い丘、石塚、ところどころにあるラクダの骸骨などが、道筋を教えてくれる。時折、ラクダの頭骸骨が石塚の頂きを飾っている。板岩が2本立っているのは、古代北欧の自然石の墓石に似ている。いかなる形の生命も存在しない。完全な砂漠である。」(シルクロード:96ページより)

本書は、ヘディン第5回目の探検記である。中国北西部に自動車道路を建設したいという中国政府の意向に基く地図作成を目的とした探検隊であり(1933〜1935年)の間、中国ウイグル地区周辺の辺境地を探検した記録である。この探検旅行を終えた時、すでにヘディンは70歳に達していた。

ヘディンの第1回探検は1893年〜97年パミール、タクラマカンの砂漠、ロブ・ノール、チベット北部を周り、1855年4月タクラマカン砂漠死の横断を体験している。これは後に世界に衝撃を与えた。

第2回探検は1899〜1902年、ロブ・ノールとチベット探検し、楼蘭遺跡を発見した。第3回探検は1905〜1908年、チベットを探検、トランスヒマラヤを発見した、第4回探検は1927年〜1933年ゴビ砂漠横断。そして、本書の第5回探検に続く。

スエーデン探検家、スベン・ヘディンは本書「シルクロード」「大馬の逃亡」「さまよえる湖」及び自伝「探検家としてのわが半生」の4冊の本がある。彼は12歳の時、リビングストンやスタンレーに憧れ、将来探検家になる決意をし、タタール語とペルシャ語に堪能となり、人間的魅力にも恵まれていたようだ。しかも、無鉄砲、厚顔さを発揮したようだ。

ヘディンは1890年、ロシア領中央アジア、タシケント、ブハラ、サマルカンドなどを広く歩いた後、知識の必要を実感し、ベルリン大学リヒトホーフェンの許で学び、学位を受けた1952年87歳でストックホルムで他界。

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