定年後の読書ノートより
西域記―玄装三蔵の旅―原作玄装、訳桑山正夫、小学館
玄装三蔵は、628年から644年までの17年間、中央アジアとインドの旅をして唐の都長安に帰国した。皇帝太宗は、高句麗への侵略の後、中央アジアへの侵略を考えていただけに、玄装の帰国を喜んだ。玄装は持ち帰った、657部の仏教原典を国家的行事として、原典翻訳事業を太宗にお願いした。しかし、太宗は原典翻訳以前に、玄装に旅行記を書くように指示した。玄装は原典翻訳を進める傍ら、「大唐西域記」12巻を書き上げた。

桑山正夫氏は、何故インド以外を書いた巻1と巻12が、内容が随分と省略されているか、この裏には、正編を国家的極秘事項にした太宗の意志があったのではないかと推測する。当時、唐の西には、現在のチェベットに相当する吐蕃、モンゴルに相当する東突蕨、そして天山山脈の向こうに現在の中央アジアに相当する西突蕨があり、ここを経由してパミール高原、ヒンドウクシュ山脈、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈を越えて、仏教のメッカ、ナーランダーに到達して玄装は仏教を学んだ。

玄装は、慎重で思慮深い学僧だったようだ。この大冒険旅行には、必ず時の支配勢力領主に十分な保護を貰い受け、多くの部下と金銀と牛馬に護られて当時としては不可能と思える大冒険移動したようだ。正にシルクロードの開祖の一人である。

この本には、巻1から巻12まで、何が書いてあるかを、原典に準じて、抄訳が続く。

ここでは、自分が訪問したウズベキスタン・サマルカンドについて、巻1に書かれているサマルカンド紹介のことを記したい

サマルカンドは土地が肥沃、木々はうっそうとして、物品は豊か、良馬を産する。機織りの技は、諸国に勝っている。サマルカンドはソグド国の中心である。軍は強大である。

玄装はサマルカンドを出たあと、テルムズでアムダリア川を渡り、川の南を東進し、アフガニスタンバーミヤンに到達した模様。

シルクロードの650年当時の様子を書いた「大唐西域記」は、敦煌石窟の中からも発見されており、日本では、岩手県平泉中尊寺には、「尚書左僕射燕国公干志寧」と題して今も遺されている。

またこの本は、シルクロードに興味多い人々に、便利のように、関連書籍が紹介されている。

「シルクロードの仏たち」山田樹人著、里文出版

「西域余聞」陳舜臣著、朝日文庫

「やきもののシルクロード」加藤卓男著、中日新聞社

「東洋の造形」吉永邦治著、理工学社

「染料の道」村上道太郎著、NHKブックス

「西蔵放浪」藤原新也著、朝日文庫

「敦煌 歴史の旅」平山郁夫著、光文社

「シルクロード紀行」井上靖著、岩波書店

「心は遠くブッタのあとをつぎ」松原哲明著、公成出版

「シルクロードキャラバン」アンヌ・フィリップ著、晶文社

「西遊記」小野忍著、岩波文庫

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