定年後の読書ノートより
ソフィーの世界、ヨースタイン・コルデル著、池田香代子訳、NHK出版
B・ラッセル「西欧哲学史」とJ・キャロル「不思議の国のアリス」を足して2で割ったような本。ノルウェイ作家1991年の作品。ここでは、哲学者ヘーゲルとマルクスについて、この本では如何に判りやすく、平易に書いてあるか、本書から要点を摘出してみたい。

ヘーゲルー理性的なものだけが生きのびる。

「ヘーゲルの哲学は世界の深い本性についてはなにひとつ教えてくれないてれど、そのかわりに考えるための方法を教えてくれる。ヘーゲルの哲学と言われているのは、おもに歴史の流れを理解するための方法のことだ」

「ヘーゲル以前の哲学体系は、人間は世界について何を知ることができるか、永遠に通用する基準を求めたが、ヘーゲルは人間の認識基盤は時代によって変化する、だから哲学者が当てにできる確かなものは、歴史そのものであり、永遠の真理も理性もないと考えた」

「歴史を観察すれば、新しい思考はそれより前の思考を踏まえて立ち上がっている。新しい思考が立ち上がると、かならずもうひとつの別の新しい思考の反論を受ける。2つの対立する思考が張り合う。この緊張は、2つの思考の良い所をとって第3の思考が出来上がる。ヘーゲルはこれを「弁証法」的発展と呼んだ。ヘーゲルは認識のこの3つの段階を「テーゼ」「アンチテーゼ」「ジンテーゼ」と呼んだ。ヘーゲルはこれが理性の発展の法則だと、つまり歴史をつうじて世界精神が発展する法則だと言った」

「ヘーゲルは自分が生きている社会に背を向けて、社会よりも自分自身を見つけようとする人間は、おろかだと言った。ヘーゲルによれば、自分自身を見つけるのは個人ではなくて世界精神であり、まず世界精神は個人のなかで自分に目覚める。ヘーゲルはこれを「主観的精神」と呼んだ。世界精神は家族や市民社会や国家で、もう1ランク高い目覚めに達する。ヘーゲルによれば、これは「客観的精神」だ。人々の互いの働きかけの中に現れる第3の段階は「絶対的精神」の中で自己認識の最高の形をとる。絶対的精神というのは芸術・宗教・哲学のことだ。なかでも哲学は精神の最高の形だ。なぜなら、世界精神は歴史における役割を哲学の中で反省し、そこに自分を映し出しているからだ。哲学の中で始めて、世界精神は自分に出会う。だから哲学は世界精神の鏡だと言っていい」

マルクスー妖怪がヨーロッパじゅうを歩きまわっている

「マルクスはヘーゲルの世界精神という概念や観念論とは距離をとっていた。世界精神なんて、なんだかつかみどころがないと思った。壮大な哲学体系の時代はヘーゲルで終った。「現実の哲学」「行動の哲学」にとって替わった。マルクスは、哲学はこれまで世界を解釈するばかりで変えようとはしてこなかったと言っている。マルクスは、歴史学者で、社会学者で、経済学者だった。マルクスは社会の物質的な要素が僕達の考え方を決定している。この物質的な要素が歴史の流れも決定していると考えた。マルクスはヘーゲルは逆立ちしていると唱えた。」

「マルクスは、物質的、経済的、社会的な状況を「下部構造」政治制度、法律、宗教、道徳、芸術、哲学等を「上部構造」と呼び、社会の上部構造は物質的な下部構造を反映するものだとした。下部構造と上部構造の間には相互関係、つまり弁証法的な緊張関係があり、マルクスはおのれを「弁証法的唯物論者」と呼んだ。下部構造は自然的生産条件、生産手段、生産関係から成立っている。」

「マルクスは何が正しくて何が間違っているかを決めるのは、たいてい社会の支配階級だともいっている。マルクスによれば、これまでの全ての歴史は階級闘争の歴史だ。歴史とは、生産手段はだれのものかをめぐる争いなのだ。資本主義のシステムでは、労働者はだれかほかの人の利益のために働く。働けば働くほど、その他の人が得をするシステムなのだ。すると労働は労働者自身から抜け出して、労働者のものではなくなってしまう。労働者は自分の労働からへだてられてしまう。さらには気持ちの上で自分自身からもへだてられてしまって、労働者は人間であることのプライドを失う。マルクスはこういうことに「疎外」という、ヘーゲルの用語をあてはめた」

「資本主義は、労働者が事実上、ほかの社会階級の奴隷になるように組織されている。労働者はブルジョアに労働を差し出すだけでなくて、人間としての存在をそっくり明け渡してしまうのだ。」

「マルクス主義は大きな変革をもたらした。マルクスをかかげて社会正義のために闘った社会主義は、何から何までマルクスどおりではなかったとしても、人間らしい社会を闘いとることに成功した。今日ではマルクスの時代より、公平な、まとまり有る社会に生きている。これは少なからずマルクスや社会主義のおかげなんだ。社会主義だって人間が実現させるものだ。そして人間とはまちがいをおかすものだ、ということをマルクスはあまり考えなかったとは言える。たぶん、地上の天国なんてどこにもないんだよ。人間はつぎつぎと問題をひきおこしては、それと闘っていくのだ。やっぱり人間のすることは善と悪のごたまぜなんだ。マルクスが死んで100年も後の社会主義の国々のマイナス面をマルクスのせいにするのはおかしいよ」

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