定年後の読書ノートより
文学部唯野教授、筒井康隆、岩波書店
レビィ・ストロース著「悲しき熱帯」を読み始めている。レビィ・ストロースは構造主義の草分け的文化人類学者だそうだが、構造主義とは一体何か、自分にもさっぱり分からない。要するに、構造主義とは実存主義の次にフランスで華開いた現代思想だそうだ。こういう厄介な抽象的テーマは、哲学史における「ソフィーの世界」の如く、難しいことを易しく解説してくれる筒井康隆氏の「文学部唯野教授」が最適だろうと、本箱の奥からこの本を探し出してきた。なを、筒井氏のこの本には、印象批評、新批評、ロシア・フォルマリズム、現象学、解釈学、受容理論、記号学、構造主義、ポスト構造主義の9つの難題が解説されている

構造主義の歴史は、作家が反論できない権威ある批評を打ち建てたいと確立した批評理論だそうで、構造主義とは、構造がどんな働きをして、どんな法則を持っているかを考える学問だそうだ。構造主義とは対象を体系化し、分類することから始める。レビィ・ストロースはいろいろな神話を、いくつかの基本的な単位に分割し神話の中にある神話素とは、文法みたいな規則によって結びつけられており、神話の中にあるそうした神話系の関係というものは、もともとすべての人間の精神の中にあるものであり、神話はすべての人間の心の集合的な存在で、考える為の道具なのだと考えたのがレビィ・ストロースの説だそうだ。

神話は、特定の人間が考え出したものではなく、すべての人間の中にある、普遍的な構築物であり、神話を研究するということは、その内容を研究するのではなく、その内容を築きあげて構造化する人間の心の働きを研究することだそうだ。

作品はみな構造物なんだから、科学の研究と同じで、その内容を分解したり分析したり出来るはず。構造主義のおかげで、文学は必ずしも最高の言語表現形式ではないとなってしまった。構造主義では作品を分析するために、現実をすべてカッコの中に入れてしまった。それどころか、個人個人の人間までカッコの中に入れてしまった。そうなってくると、構造主義も科学を装った宗教みたいになってきてしまった。

だからポスト構造主義ってことになります。と。解ったような、相変わらず判らない解説で、お茶を濁された感じ。しかし筒井康隆氏、本文の中で、「中々見事な判り易いご講義で」と御満悦。

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