定年後の読書ノートより
西洋哲学史、玉井 茂著、青木書店(1974年初版)
玉井先生の西洋哲学史を通読、十分に理解したわけではない。目下関心ある現代哲学について、玉井先生のご指摘を、ここにメモし、現代哲学に関し、自分なりによく考えてみたい

「一般に高度資本主義諸国では、マルクス主義は民主主義との結合を求め、合法的な平和的な社会主義への移行の道を求めているが、これを「革命」を見失ったものとして攻撃するものに「新左翼」の動向がある。イギリスの「ニューレフト」のほか、ドイツのマルクーゼ、フランスのルフェーヴルらはこの方向にあるといえよう。さらに実存主義の立場からマルクス主義の人間的主体性を志向するサルトル、「構造主義」の立場からマスクス主義の「科学的更新」を求めるアルチェセール、これらがマルクス主義の「多元化」時代をつくりだしている。これらの理論はマルクス主義の正統派には認められていないが、果たして擬似マルクス主義にすぎないのか、あるいはマスクス主義の創造的発展であるのか、その断定は将来の課題である。」

この概論は理解しやすい文章だと思う。ここで現代哲学の主流である実存主義に関して、この本の別の箇所ではこう書かれている。

「実存主義は、マルクス主義と違って、階級的対立、資本主義関係、および私有財産制を無視する。そして階級闘争の代わりに人間個人間の諸矛盾を、資本主義関係の代わりに産業社会の人間関係をおき、私有財産制は疎外に無関係な外的な社会の状況とする。要するに極めて人間学的であり、マルクスよりもフォイエルバッハに近い、フォイエルバッハもまた、心と頭と感情と愛とをもつ人間一般、普遍的人間性を問題にした。実存主義者にとって現代の社会は「産業社会」あるいは「大衆社会」であり、疎外は人間の永遠の問題である」

玉井先生は、実存主義は科学性に乏しいと指摘される。そうかも知れない。しかし私は、実存主義の素晴らしさは人間の積極的実践性を期待しているところが、現代の活路を見出していくポイントだと思っている。このことは、玉井先生も意識しておられる。

「現代の社会の人間性の疎外に注目したのはマルクスだけではなかった。ハイデッカーによれば、近代の高度の科学、技術が人間性の疎外を引き起こし、人間を自己の生産物の奴隷としてしてしまったとし、サルトルは、現代の人間「疎外」状況を凝視し、そこから人間を救出することを使命とした。サルトルの実存にはハイデッカーの暗さがない。彼にはハイデッカー流のニヒリズムはない。サルトルはマルクス主義における人間的欠陥を埋めようと企画した。サルトルは実存主義をヒューマニズムに止揚した。」

最終的に、玉井先生は、レーニンの「唯物論と経験批判論」におけるテーゼを重視し、ここにマルクス主義の真髄があると考えておられるようだ。

「1、物質・物体・対象の第1次的客観的実在性の主張。2、物質についての哲学的概念と自然科学的概念との区別。3、運動する物質的外界の客観的合法則性を示す客観的真理の存在と人間の感覚・意識とへのその反映。4、絶対的真理と相対的真理の弁証法的関係。5、人間の観念と客観的実在との一致の検証基準としての実践の役割」

以上が玉井先生の現代哲学の流れであるが、自分として、更に実存主義哲学について、もう少し詳しく勉強してみたいと思う

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