定年後の読書ノートより
ぼくはこんな本を読んできた、立花隆、文春文庫
立花隆氏の根底を動かしているのは知的好奇心

人類の祖先は森の木から降りて、飢餓が待っているかも知れないステップに好奇心を持って歩み出した所から歴史は始っている。全てのスタートは知的好奇心にあると立花氏は考えている。だから氏は徹底的に本を読む。中学時代の「僕の読書を顧みる」という作文にも氏の膨大な読書遍歴が書かれているが、自分は日本で多読者100人のうちの1人に入ると立花氏自身が自負する。

しかし、その立花氏が岩波書店の緑川社長に抗して、活字文化はもうこれまでだと力説する。なぜなら、人類の知的蓄積の最新版とは活字文化の中にあるのではなく、映像をはじめとして、世間を動かしている科学技術の最先端の中にこそ、人類の智恵は形つくられているという。

人類の知的実績とは丸い円みたいなものだという。だから最先端に立つ学者、技術者、実践者は実に狭い範囲の知識を奥深くものにしている。だからこうした最先端の知識に接しようとするには、徹底的に勉強しなければならない。表面的に、さらりと外面だけを受け流しただけでは、最先端の人達から馬鹿にされるという。最先端を知ろうとする者は、徹底的に最先端の著書を読み込まねばならないという。この意気込みはすごい。

立花氏は海外の知識を吸収しようとすればまず外国語を知らねばならないという。外国語は自分の金で家庭教師を雇い集中的に勉強すれば、1月間で1外国語はものになるという。

まさに知の巨人みたいな人。

しかし、立花隆氏はどうしても好きになれない。それは、かって宮本顕治氏の戦中地下活動中に遭遇したスパイ小畑の訊問死亡事件をとりあげ、宮本氏の柔道で鍛えた腕での背後からの身体圧迫が死因であり、それを裏付ける袴田の手記さえあるではないかという文芸春秋の、「日本共産党の研究」なるシリーズに示された立花氏の共産党に対する視点に対しては、自分は未だに立花不信を解消出来ないものがある。

要するに、氏の知的好奇心の原動力になっている信念とは何かである。例えば自分にとって、マルクス主義への信念のもとになっている原動力とは、中学時代、自分の貧困の原因は、この社会、貧乏人と金持ちがいて、金持ちがものすごい力を持っていて、貧乏人を使役し尽くしているからこの社会に貧富の差が出来ると実感してきたし、マルクス主義にこそ、この体験に基く自分の実感を支持し、未来への明確な解決への道を示してくれると信じているからである。

しかし立花氏の原動力は、全て自己知的好奇心を満足させるためだけであり、この大切な貧乏の根本問題もよそ事のごとく、ニヤニヤ笑いながら、面白おかしくけちをつけまくるとしか見えないからである。立花隆氏の視点には、文芸春秋社や世の多くのブルジョア評論家と同じく、所詮、物事を斜めから眺めて悦にいっているイヤラシイ人達の仲間の1人としか見えない、これが正直な立花隆氏に対する自分の実感である。この気持ちはどんなに立花隆氏の作品を読んでも今も消すことは出来ない。

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