定年後の読書ノートより
蒲団、田山花袋著、岩波文庫
竹中時雄、36才、文士。彼は実感する。東京も変ったが、若い人も、最近はどんどん変っていく。それにしても相変わらず貞淑な妻を演じる家内なぞ、今や時代遅れだわい。

そんな時雄に神戸女学院を卒業したという美人娘が弟子入りしてきた。家に帰れば美しい笑顔、胸高まる毎日だった。しかし、出産後の家内の嫉妬もあり、とりあえず姉の家に下宿させた。気になる若い娘の日課。そんな彼女に恋人ができたらしい。京都の同志社大学生。娘はせっせと彼に心を通わしている。そんな彼女を見て、内心穏やかではない時雄。とうとう男は京都から上京。このままでは娘の身も心配だ。とうとう時雄は親を呼び出した。そこで時雄は娘から2人は既に身も心も一緒になっていると知らされる。「芳子の霊と肉。その全部を1書生に奪われながら、その恋にまじめに尽くしてきた自分に腹が立つ。そのくらいなら、あの男に身を任せていたくらいなら、何もその処女の節操を尊ぶには当たらなかった。自分も大胆に手を出して、性欲の満足を買えばよかった」。娘は即刻親と共に田舎に帰した。娘が居なくなった2階。娘の体臭が残る蒲団にくるまい泣く時雄。

明治40年発表の中編小説。自然主義文学私小説部門の門を開いた記念すべき作品。

文学とは、人生を如何に生きるかをテーマにしている。従って文学はあくまで人間に対して正直でなければならない。長い間、文語体世界に縛られていた日本文学を、口語体で自由に自分の内面を、即ち師弟の関係としてのタテマエの世界、霊の世界の男と女を表面の姿とすれば、田山花袋は当時の数々の縛りを破って、内面の姿を描きだそうとした。即ち中年男と未婚女性の赤裸々な性欲としてのホンネの世界、肉の世界としての男と女を描こうとした。

しかし、自分は自然主義の世界はあまり好きではない。何故かって。大体、中年男が、娘を性の対象として悶々と思い悩む心の表と裏の葛藤をどれほど深刻に、どれほど正確に描きだそうが、それは所詮それまでの興味本位の世界。そこには、生活も、生命も、何も失うものはない。人間、誰でも本当に真剣に悩んでいる内面とは、もっと生活に基本的なこと、生死に直結した世界であり、恋や肉欲など、安全地帯での作家の知的戯れに過ぎない。

企業の世界で、少なくとも、リストラの対象に、指名解雇の対象にされる人とはどういう人か、そういうことは、人々の最もホンネとタテマエが歴然とする世界なのに、文学者は意識してこうした本当の問題はさけて通る。命に別状がない安全な世界のどこかで、それがどんなに深刻がっても、それはあくまで作家の演技にしか過ぎないと、我々にはいつもはっきりと見え過ぎている

自然主義という看板も結構だが、それは安全地帯での、知的演技に過ぎないことを認識した上で、さて、この演技の出来栄えは如何なものでしたしょうか。皆様の印象は如何

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