定年後の読書ノートより
わが「転向」、吉本隆明著、文芸春秋社
実存主義哲学とは、一人一人の情熱が、実践にまで高まっていく過程の人間の内面を一生懸命に解き明かそうとする哲学だといって良い。多分に文学的世界に近い。一方マルクス主義哲学は理論と実践を歴史的、社会的背景から体系的に把握しようとする。

吉本隆明を読むのは始めてだ。かって学生時代吉本隆明を読んだ後、とたんにおかしな抽象論を口走り、意気がっていた友人もいたが、技術系学生である自分達は気性として抽象論は好まなかった。

吉本隆明は自称「全学連主流派同伴知識人第2号」だとうそぶく。第1号は清水幾太郎だそうだ。曰く、当時全学連主流派こそ多数派だったと。冗談じゃない、吉本隆明は当時の学生運動を全然把握していなかったじゃないか。

しかし、さすがの吉本隆明、西部の「60年安保」を読んで、西部の一番きらいな言葉は「大衆」、だから西部の左翼とは大衆から生まれてきたものでないし、だからこそ今も頑強な保守性を持っている。西部はマルクスを読んでいないし、西部こそ当時の全学連幹部の一面を象徴していると。しかし、それを見抜けなかった吉本隆明の罪を彼はこの本で少しも恥かしがっていないのは許せない。

過日、わが自分史「より良い人生とは何か」を読んでくれた学生時代の友人G氏に出会いコヒーを飲みながら長く語り合った。G氏曰く「君は、もし青春時代の生き方をそのまま維持し社会人となっていたらきっと労働運動に参加していたに違いない」と暗に小生は就職後、社会問題に一切背を向け「転向」の道を選択したずるい人間の一人だと言わぬばかりの、きつい批判の言葉をいただいた。

小生はその場ではG氏に一切言い訳はしなかった。しかし、「転向」という言葉が妙にひっかかり、図書館で吉本隆明の本を読んで何か感ずるところがあるかどうか自分で確かめてみたくなった。

結局吉本隆明の本からは何も教えられるところはなかった。むしろかの有名なる吉本隆明もここまでかと失望したのが正直な実感。

結局、実存主義哲学の大きな間違いは、現実を歴史的、社会的にキチンと学ばないというか、学ぶ大切ささえ軽く考えてきたということだと思う。

おっちょこちょい野郎の過激な実践決意宣言書。実存主義哲学とはそんなものだと自分なりに納得した。すくなくとも、実存主義哲学に対して、これ以上興味をもって学びたいとは思わない。

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