定年後の読書ノートより

「ゼロ成長」幸福論、堀切和雅著,角川書店
どんなに外国人労働者を抑えても、海外から入ってくる安い商品によって日本国内の諸産業は立ち行かなくなり、日本国民の所得は急激に下がるだろう。日本は極く少数の富裕層と中間層、そして大部分の国民は下層階級となって、その貧富の格差は益々広がっていくだろう。もう日本には中間管理職など置いておく時代ではない。労使共同体などと優雅な発想など消えていく。しかし資本家は、依然として労働者に出世をちらつかせた競争社会を作ろうとするだろう。しかし国民の大半は「負け組」「マグドナルド層」即ち年収二百万の下層階級に没落していく。正社員と単純パート労働者の線引きは明確になされていく。

世界各国の国民は見ている。GNP大国日本には「消費生活」はあっても、「生活そのもの」はなくなっていくと。生活の意味があまりにも「薄い」。多くの日本人は将来に怖れを抱いている。あぶくのような経済活動にのめり込んできた日本人は、経済活動が少しでも壊れることにものすごく神経過敏になっている。「会社が生き甲斐」の日本人にとって、会社の行方がおかしくなってくると、大きなショックを受ける。「自分はどう生きるべきか」と堂々と自らに問おうとしない日本人。

ここでの章はユニークなタイトルがついている。「あなたが楽しく生きること、これが競争社会への復讐だ」と。「この国にはなにもかもある。しかし希望だけがない」。ものはあふれているし、飯は食える。しかし希望は全く別のところにある。

筆者はダグラス・ラミス氏の「経済成長がなければ私達は豊かになれないのだろうか」という1冊の書に賛同して、結論をここに求めている。我々は「労働者」であると同時に「消費者」でもある。しかし人生にはこのどちらにも入らない局面があるのではないか、広告は四六時中我々を刺激し、挑発している。しかし人生には多様な局面が沢山あるのだから、経済行為に係わる時間を極力減らし、もっと多様な時間を持つべきだ。勿論個人消費が冷え込めば景気は回復しないかも知れない。しかし「そんなこと知ったことか!」。大体グローバル化した経済競争など究極的には、アメリカの過消費社会を支えるための世界システムに外ならないではないか。そんなものに搾取されるのは御免蒙る!。

我々が関与する企業活動、経済活動というものは、あまりにも競争に駆動されている。仕事は確かに一生懸命やるべきだが、我々の社会そのものが、幸せに生きるという目的から外れた方向へ動いている。

我々サラリーマン、人間として満足度の大きい、充実した時間の使い方がしたいものだ。自分を社会へ表現する活動に参加できないものか、表現活動の重みを味わいたい。内面を変えることが世界を変える!地域活動に深く関わることもいい。もう権力や金力を使って、外的状況を動かして喜ぶ時代ではない。内面的な深まりがついてきていないと、外部を動かしても、イヤな気分になったり、空しくなるだけだ。恐怖に駆られた競争の最も深刻な副作用は、人々を保守化させ、自由な選択の想像力を封ずるだけだ。

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