宮川彰先生資本論講座 第2巻第2篇資本の回転 第10章〜第11

2010年9月18日(土)第5回 資本の回転とはなにか(その2)アダムスミスとリカード

1古典派経済学もそれなりにG-WAPm・・・P・・・G'G+g)の定式に添って考察を進めてきたが、マルクスに言わせれば、アダムスミスは、幾つかのミスを犯し、行き詰まったとしている。

ミス1、固定資本、流動資本という規定を、素材性格とみなしていた。

ミス2、固定資本、流動資本という区別を、生産資本と流通資本の区別と混同している。

ミス3、流動資本の中の労働力の見誤りと生活手段と位置づけ、流動資本にしている


2、リカードは、アダムスミスよりさらに考察を深めたが、固定資産に耐久度設定や、原料、補助材料規定に動揺。不変資本、可変資本の区分こそが、正しい考察である。


宮川先生は、出来る限り講義の内容は、原典にきちんと沿って進めることに配慮。特に重要箇所は、原典を読んで、マルクスの主張を抑えておられる。


講義の中で一番大切な箇所。(原典208p)

労働力は、市場で流通する限りでは資本ではなく、商品資本のいかなる形態でもない。労働力は、決して資本ではない。労働者は、一つの商品を、すなわち自分自身を身体を市場に出すとはいえ、決して資本家ではない。労働力は、売られて生産過程に合体されたときにはじめて、−すなわち商品として流通することをやめたのちにはじめて、生産資本の構成部分となる。すなわち、剰余価値の源泉としては可変しほんとなり、労働力に投下された資本価値の回転との関連では生産資本の流動的構成部分となる。スミスはここで、流動資本を商品資本と混同しているので、労働力を彼のいう流動資本の項目に入れることはできない。ここでは可変資本は、ここでは、労働者が自分の賃金で買う諸商品すなわち生活諸手段の形態で現れる。

この形態では、労賃に投下された資本家価値は流動資本に属することになる。しかし、生産過程に合体されるものは労働力であり、労働者自身であり、労働者自身がみずからを維持するための生活諸手段ではない。