資本論 第2部 序言

エンゲルスは、マルクス死後、その遺稿を整理し、マルクスが生前成し遂げられなかった、資本論の第2部、第3部の作成経過を、書いている。遺稿から、マルクスがこの第2部を書いたのは、四つ折紙に、マルクス独特のくせのある文字で、1865,1867、1870,1877年に書かれた痕跡が残っている。しかし、その間、マルクスは、病に倒れ、何度も、研究から手を引いている。

その間、多くの人々の攻撃に身を曝さしてきたが、ロートブルトスという大臣までやった男より、「マルクスの剰余価値とは、彼の発見ではなく、彼が自分の作品から剽窃したものだ」と論じたことだ。本件については、マルクス生前中、目にふれることもなかたので、マルクスは、何も強く反論していないが、剰余価値学説は、マルクスが、古典派経済学を学ぶ過程で、彼等が剰余価値の存在を気づいていながら、これを理論化できなかったのであり、特に、リカードにおいては、彼の著作に、剰余価値そのものを、はっきりと論じている。しかし、酸素発見の過程で、燃素として、酸素の存在を確認しながら、酸素を把握出来なかった科学者と同じく、リカードは、剰余価値の存在を確認しながら、これを理論化出来なかった。

ロートブルトスの場合も同じだ。むしろ、彼は、リカードから剰余価値の存在を学びながら、リカードを一歩も出ているものではない。

マルクスの剰余価値とは、生産諸手段の所有者によって、等価物の提供なしに取得される価値総額の一般的形態であって、この形態はマルクスによって、はじめて発見されたのである。と。

資本論 第2部 第1章 貨幣資本の循環

資本家は、貨幣でもって、労働力と生産諸手段を購入する。労働力の購入は、労賃の形態で、すなわち剰余労働を含む労働総量の価格として、支払われる。生産諸手段は、この労働総量を吸収するのに充分でなければならない。生産資本は、労働力の価値と、生産諸手段の価値である。これは貨幣資本である。労働力は販売されることによって、生産諸手段と結合されるやいなや、労働力も、生産諸手段とおなじように、その買い手の生産資本の1構成部分をなす。奴隷の売買も、その形態から見れば、商品の売買である。しかし、奴隷制が実存しなければ、貨幣はこの機能を果たしえない。

資本主義的生産は、商品および剰余価値を生産するだけではない。それは、賃労働者階級を、拡大再生産し、直接的生産者の圧倒的大多数を賃労働者に転化させる。

労働力の剰余労働は資本の無償労働であり、それゆえ資本家のために剰余価値ー彼にとってなんらの等価物も費やさない価値ーを形成する。それゆえ、生産物は商品であるだけではなく、剰余価値を身ごもった商品でもある。

資本とは、資本運動のことである。資本がさまざまな段階で身につけるーそして循環の繰り返し中にあるいは身につけ、あるいは脱ぎ捨てるー様々な形態、これが資本である。

資本は商品流通の部面から出て、生産部面に入りこむ。流通過程での資本機能は、過程の内容で生ずる変化ではない。価値は大きさの変化をこうむるのではなく、形態変換をこうむるだけである。

貨幣資本の循環は、産業資本の循環のもっとも一面的な、それゆえもっとも適切でもっとも特徴的な現象形態であり、産業資本の目的および推進的動機ーすなわち価値増殖、金儲け、および蓄積ーが一目瞭然に表されている。