第1回 名古屋資本論講座 資本論はどういう書物か=序文

                         20081115

予習

 資本論ガイドブックより、資本論とは何かを あらかじめ学習した。


1、 ”「資本論」全3部を読む 不破哲三著” から 「序言」について


資本論とは科学の目の要である。マルクスは、近代社会の経済的運動法則を暴露することが、資本論の目的であると言っている。資本論の中には、資本主義社会だけでなく人類社会の諸段階を見た成果も込められている。


一高時代資本論を読んだが、字面を追っただけだった。そのくらい資本論は難しい。資本論を読むには、補助的な支えが必要である。資本論は一段一段 積重ね、理詰めで次に迫っていく芸術的な構成で成り立っている。しかも内面的な理詰めである。


マルクスは、書きながら考える。マルクス経済学とそれまでの経済学とはどこが違うか。資本主義社会に対する見方が違う。資本論の読み方としては節の内容をきちんとまとめて、次に関連つけて読むこと。常に全体の流れをつかむ読み方が必要である。単純なものから複雑なものへ論理の移行をマルクスは経済学に適応している。


2、資本論:まず「序言」を読んで感じたこと。西川尚武


マルクスは、何を目的として、この膨大で、難解な「資本論」を書いたのか。マルクスの言葉をそのままに引用すれば、「近代社会の経済的運動法則を暴露する」為であると書いている。

殊更に、「暴露」という言葉を使ってマルクスの主張をむき出しにしているところが資本論らしいが、こうした突きつけるような挑戦的著述が全編に満ち溢れている。だから この「序言」を読んだだけで、もう多くの人は資本論学習をたじろってしまうばかりか、嫌気がさす。嫌悪感さえ催す。


更に、巷のマルクス主義関連書物は、資本論こそが労働者階級の聖書だとのたまう。要するに、お前達労働者階級はこの本で、真実が見えるようになる。だから資本論を読んで起ち上がれと扇動する。しかし、落ち着いて考えたい。ソ連崩壊、中国変貌、この現実問題と資本論はどんな関係にあるのか。マルクス主義を心酔し、多くの先駆者達は命を捨てて社会主義確立の旗を揚げ、闘争し、その結果が、独裁政治を容易に導いてしまい、人類の大きな歴史的汚点を残してしまったとすれば、本当に資本論=マルクス主義は正しいのか。


僕は、この序言の中でマルクスが言っているもうひとつの言葉を引用したい。「個人は社会の諸関係の被造物にすぎない」と。要するにマルクスは、経済法則という土台があって、その上部構造に「個人=人間」があるとしている。資本論では、経済法則を論じているのだから、人間論はここでは論外ではあるが、読み方によっては、読者は経済法則が明確になったら、経済法則に準じて読者自身で「人間論」を考えてみろとでも書いているようにも思える。マルクス主義の歴史上における過ちも、「人間というもの」を正しく把握してこなかったことに起因しているのではないかといつも考えている。でも、「人間論」を資本論内で追求しようとしても、それは不可能であり、むしろ危険なのかも知れない。「人間論」は資本論のテーマとしては関知していないテーマであり、資本論の中では経済法則だけを学べば良いのだと自分自身にはっきり言い聞かせて前に進むべきなのだろうか?。こうした僕の資本論学習姿勢に、宮川先生はどんな講義を聞かせてくれるのだろうか?


3、”有斐閣新書 資本論入門 山中隆次氏ら4名の著作書”より 「序言」予習


 マルクスの資本論は、「近代社会の経済的運動法則を明らかにすること」を目的とする。

ここで近代社会とは、資本主義社会のこと。近代社会はカネがものをいう社会である。

貨幣は資本の最初の現象形態である。近代社会とは資本が支配する社会である。


資本が人間を支配するようになったということ、さらにその支配の仕組みがきわめて複雑で、ちょっとやそっとではわからないものになっているところに、「近代社会」の特徴がある。


このような「近代社会」における資本の支配の仕組みを明らかにするとともに、資本が増大すればするほど、支配される人々も強力となり、やがてその団結の力によって、資本が人間を支配する体制そのものを変革せざるをえないことを示したものが、マルクスの「資本論」です。とこの本では資本論を紹介している。


前半の資本の仕組みを明らかにすることが、資本論の中に書いてあることは、過去に資本論を読んで理解しているが、僕が読んだ第1巻だけでは、団結の力によって、体制そのものを変革せざるを得ないことまでは書いてあったとは記憶していない


本当に資本論には、団結の力で体制変革まできちんと書いてあるのだろうか。


こうした変革までが、資本論にもし書いてあるとすれば、僕の過去の資本論の読み方なんて、実にいい加減だったということになる。


もし そんなことまで資本論には書いてないとすれば、この先生方が書いた資本論入門なるガイドブックも 信用出来なくなる。この本を書かれた先生方とは、山中隆次、鶴田満彦、吉原秦助、二瓶剛男氏の著名なる4名の先生方である。


この有斐閣新書では、資本論の目的は「近代社会の経済的運動法則を明らかにすること」と訳している。一方、資本論日本語版原書では「近代社会の経済的運動法則を暴露すること」と訳してある。「暴露する」なんてな言葉遣いは、いかにも挑発的で、読者をして、心中穏やかならしめない表現だと思う。僕は「明らかにする」という表現方法の方が、落ち着いてこの書に取り組めるはずだと思うのだが・・・・・。


幸い僕の手元には、資本論のドイツ語版原書がある。一昨年オーストリア・ザルツブルクの本屋で購入した。早速、ドイツ語原文では、ここのところは「暴露」と書いてあるのか、それとも「明らかにする」と書いてあるのか、調べてみた。


es ist der letzte Endzweck dieses Werks,das okonomissche Bewegungsgesetz der modernen Gesellschaft zu enthullen

対象の言葉はzu enthullen である。研究社の辞書にはこう書いてある。1(の)覆いを取り除く、露にする。2、打ち明ける  矢張り、日本語版上製版の訳の方が、斐文閣新書の訳よりも、より一層原文ニュアンスを正しく伝えている。マルクスは、激しい怒りに燃えながら「暴露する」という刺激の強い言葉を使っていた。これからは、日本語版上製版の訳を信じていこう。故意に、刃の鋭さを落としてはならないと自覚した。


4,「資本論」で読み解く現代の貧富の格差ー宮川彰「資本論」集中講座

     (2006年8月2021日 名古屋資本論集中講座 講義録)より


金融問題が吹き荒れている。実業家といわれる人ですら「お金を動かすだけで莫大な利益をあげる。そんなやり方が世の中でまかり通ったら、若い人が額に汗して働くのがバカらしくなる」とこぼしている。ある高校生曰く「株で儲けて何故悪いの?。株は不労所得なんかではなく、努力・才能で獲得した結果でしょ?」と。ジェイコム株で20億円稼いだ27歳の青年がいる。IT長者は現代の錬金術師なのか?莫大な冨を稼ぐ彼らの利益は、誰の損失で補われているのか、そもそも株で巨額な利益を上げるとはどういうことなのか?


エンゲルスはずばり応えている。「株取引とは搾取の獲物、剰余価値の分捕り合戦だ」と。過去の、労働者から絞り上げた、搾取した、つまり賃労働と資本関係のもとで搾取した既存の剰余価値、資本家や経営者の懐に入った剰余価値を、リターンマッチにかけること、再分捕り合戦こそが株取引だ、と ベーベル宛の手紙の中で述べている。”分捕り合戦”では「売り手の損は買い手の得」に過ぎない、と。


労働者は先ず学ばなければならない。資本の価値増殖は、労働者の搾取にもとづくということを。労働力こそ、増殖をもたらす要因であり、労働者は金の卵を産む。マルクスは、資本とは何かを分析し、この社会の冨の源泉は、唯一労働に帰せられ、労働者の生み出した剰余労働以外にありえないという関係をきっぱりと明らかにした。この考え方こそが、労働価値説である。われわれは、金融機関のさまざまな動きを、大局的な見地から、すなわち「資本論」にある労働価値学説の見地から見抜き、暴露しなければならない。


自民党施政者は、格差あっての活力ある社会があると説く。格差こそ、経済活力を維持発展させると擁護する。日本中には金融資産だけで1億円以上持つ金持ちは、124万人もいる。しかし一方に、生活保護者数が142万人もいて、労働者の半数近くが、年収300万円以下の最低生活に追い詰めらている。しかもこの格差は年々急激に開いていく。貧富格差が開いているのは、アメリカと日本が特にひどい。これはまさに資本主義経済制度の仕組みの動きによる。マルクスが、「資本論」の中で解明した資本蓄積法則、貧困化法則、相対的過剰人口法則こそが、格差問題の根底にある。


先進資本主義国は、膨大な剰余労働時間を持ち、一層技術革新、生産力の増強を図る。剰余価値の資本への転化、すなわち資本の蓄積が限りなく進む。その結果 富めるものはますます富み、貧しいものは冨からますます取り残される。


貧富の格差を眺めて、今や明確にその根底原因を剰余価値の蓄積と指摘する経済学者はどんどん少なくなり、問題の焦点をぼかし、世情の感情になんとなく同情発言をして、取り繕う経済学者が、マスコミ舞台に登場する。彼らは正面きって経済制度に歯向かうことはしない。リベラル派、改良派と呼ばれるこうした経済学者が所得格差を容認、階級的搾取構造まで明らかにすることせずに、問題の焦点をぼかす。


結局我々自身が、「資本論」から学び、客観的科学的観点を養って、鋭い批判の目で社会をみ、かつふるまっていかねば この問題の根本的解決は有り得ない。