72歳で読み直す資本論 名古屋資本論講座  愛知民主会館      

13講  資本蓄積の法則 2010116日(土)   宮川 彰 講師 

とうとう13週間の資本論第1巻講座の終講を迎える。本日は「第7編 資本の蓄積の法則」だ。この篇のボリュームは分厚い。しかし、この篇の盛り上がりこそが最高。今までの1歩1歩がここで結晶している。宮川先生の名講義もすごく味が出てくる。毎週、最前列に座って講義をじっと聴き続けてきた楽しみも、本日で結晶し、次のステップに結びつく。


第21章 「単純再生産」

生産過程は継続的である。恒常的な連関の中で、考察を進めよ。これが再生産である。もし、生産過程から得られた富を、すべて個人的消費に費やしたとしたら、資本家の頭の中では、初期投資した分は、そのままで、儲けは全部自分で消費したというイメージが頭の中に結ぶだろう。しかし、それは違う、初期投資した分は、労働者から搾取した剰余価値で置き換えられ、今資本家の手元に残っているのは、資本蓄積した剰余価値である。何故そうなったのか。労働に投下された資本は、不払労働であり、儲けとは、不払労働の蓄積である。だから、等価値交換の資本主義の原則からは、不払労働は、剰余価値として資本家の手元にあること自体がオカシイ。他人の不払労働による資本の蓄積を、本源的蓄積といい、資本家はこうして貨幣資本所有者になっていくのだ。しかし、個々の資本家、個々の労働者ではなく、資本家階級、労働者階級を考察し、資本主義的生産過程の流れと広がりの中で考察せねばならない。


第22章 「剰余価値の資本への転化」

剰余価値を資本として用いること、再転化することを資本の蓄積という。商品生産が資本主義的生産に成長すると、商品生産の所有諸法則は、資本主義的取得の諸法則に転換する。全ての資本は、蓄積された資本または資本化された剰余価値に転化する。


23章 「資本主義的蓄積の一般的法則」

この章が、資本論の中で、一番面白く迫力ある章である。この章を最後の短い時間に講義された宮川先生の名講義も、最高に迫力があった。

資本の増大は、資本の可変的構成部分、すなわち労働力に転換される構成部分の増加を含む。資本は、年々剰余価値を生産し、資本の機能は増加する。資本の増加はプロレタリアートの増加である。人間は宗教において自分自身の頭脳の産物によって支配されると同じように、資本主義的生産においては、自分自身の手の産物によって支配される。

蓄積とそれにともなう集積の進行により、可変資本部分の相対的減少が進む。


資本の技術的構成における労働量の総量に較べて、生産諸手段の総量の増大、蓄積の進行は、可変資本部分の相対的大きさを減少させる。商品の安さは、労働の生産性に依存し、労働の生産性は生産規模に依存する。大工業は小工業を駆逐する。集中は蓄積を補完する。資本の蓄積は、資本構成の質的変動の中で、可変的構成部分を犠牲にして、不変的構成部分の増加を進める。労働に対する需要は、累加的に低落する。可変的構成部分の相対的減少は、労働に対する需要を相対的に低落する。


過剰労働人口が、蓄積の必然的な産物であるとすれば、資本に所属する、自由に処分できる、産業予備軍を形成する。現実的人口増加の制限にかかわりなく、いつでもつかえる搾取可能な人間材料を作り出す。


従って、近代的産業の全運動形態は、労働人口の一部の、失業者または半失業者への不断の転化から生じる。産業予備軍は、現役労働者を圧迫し、資本の搾取欲、および支配欲に適合する限界内に人々を押し込める。


一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、すなわち自分自身の生産物を資本として生産する労働者階級の側における、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、及び道徳的堕落を蓄積する。


の激しい対立はこれからどうなるのか、どうすべきなのか、それは第2巻、第3巻に記述されている。よし、第1巻に続いて、第2巻、第3巻を学ぼう!

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