70才で読み直す資本論

資本論 第2章 第3章を 上製版で予習する    2009年1月9日

第2章 交換過程

書き出しが面白い。商品の保護者は、商品を互いに関係し合わせるだって。超文学的。マルクスって言う人はユーモア一杯、楽しんで資本論を書いてるな。

一般的等価物→社会的行為→特定商品を排除→すべての商品の価値を表示→貨幣へと変身 この過程で貨幣が生まれてくる。ここでヨハネ黙示録が出てくるのも面白い。

それらの物が交換され合う量的比率は、それらの物の生産そのものに依存する。出た!


第3章 貨幣または商品流通

第1節 価値の尺度

金は、価値の一般的尺度として機能し、そして独自な等価物商品である金はもっぱらこの機能によってはじめて、貨幣となる。但し、すべての商品が価値としては対象化された人間的労働であり、それゆえそれ自体が同単位で計量可能である。 価値尺度としての貨幣は、諸商品の内在的価値尺度である労働時間の必然的現象形態である。 重要!

貨幣は、価値の尺度として、また価格の度量基準として、2つのまったく異なる機能を果たす。貨幣が価値の尺度であるのは、人間的労働の社会的化身としてであり、価格の度量基準であるのは、確定された金属重量としてである。


第2節 流通手段

これぞ弁証法というべき書き出し。諸商品の交換過程は、矛盾し互いに排除し合う諸関連を含んでいる。商品の発展は、これらの矛盾を取り除くのではなく、これらの矛盾が運動しうる形態を作り出す。これが一般に、現実的諸矛盾が自己を解決する方法である。

リンネル→貨幣→聖書はW→G→Wの形態変換である。彼の生産物は彼にとって交換価値としてしか役立たない。蒸留した水と永遠の生命の水の交換、マルクスの笑い顔が見える。宗教をマルクスは、ニヤリと笑い顔でこなしている。皮肉と駄洒落を混ぜて。ここで出てきた恐慌の可能性。使用価値と価値の対立、私的労働と社会的労働の対立、特殊的具体的労働が抽象的一般的労働に対立、物の人格化と人格の物化との対立、これらを内在的矛盾として恐慌の可能性を含んだものとして捉えている。


貨幣通流の速さには、使用姿態の価値姿態への転化と価値姿態の使用姿態への再転化という、相対立しつつ補い合っている両局面の、すなわち販売と購買の両過程の、流動的な統一が現れる。貨幣は通流、商品は流通。

価格の運動、流通する商品の総量、そして最後に、貨幣の通流速度という3つの要因は、さまざまな方向とさまざまな割合で変化しうる。したがって、実現されるべき価格総額、それゆえ、それによって制約される流通手段の総量は、非常に多くの組み合わせを取りうる。


恐慌においては、商品とその価値姿態である貨幣との対立は絶対的矛盾にまで高められる。

ここをクリックすると表紙に戻れます