資本論講座 宮川 彰先生と 革命戦士


4月30日 ホテル竹島、資本論講座 1泊セミナー夜の席、宮川先生はこんな秘話を明かされた


私は、宮川 実の娘婿ということで、あちこちで紹介されますが、実は宮川実の前に、山田盛太郎の甥でもあります。私は、愛知県江南扶桑町に生まれ、滝高から東大経済学部に学んだ、本名山田 彰と申します。滝高時代には、バスケット部で活躍、山田彰とご記憶頂いております。


実は、私の叔父山田盛太郎こそは、日本のマルクス主義経済学草分けの一人でして、そして同じ親類として岩田義道とも血のつながりがあります。この2人こそ皆さんご存知の如く、あの暗黒時代を生き抜いた革命家達でもあります


この宮川先生の突然のお話は、衝撃的だった。山田盛太郎先生については、宮本顕治氏が「私の50年史」で書いておられるように、{東大の授業にはろくに出席しなかったが、山田盛太郎助教授「資本論」ゼミには参加した。その中には、帆足計などもいた。山田盛太郎助教授は、まだ若く、講義は論理的に厳格だったが、時々、ゼミの終わりに一同を学校前の白十字(喫茶店)に誘って雑談してくれた。}とか、{1929年の4月のいっせい検挙では、同郷の市川正一が逮捕されたことを、私は新聞で知った。翌年には「資本論」ゼミの講師だった山田盛太郎助教授も共産党「シンパ事件」として逮捕された。}と記述されている。


岩田義道は、1898年(明治31年)4月1日、愛知県葉栗郡北方村(現在の愛知県一宮市北方町)に生まれた。岩田の家は貧しく、小学校代用教員をしたあと、愛知第一師範、松山高校、京大経済に進み、1925年に治安維持法第1号として1926年学連事件に連座1927年日本共産党に入党。1932年逮捕、特高警察により虐殺。その葬儀には、息子の岩田労、姉の野々垣志き、布施辰治、安田徳太郎、鈴木安蔵、山田盛太郎、神道寛治、服部之総、渡邊テウ、青柳盛雄、河上秀などが参列している。


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