定年後の読書ノートより
日本共産党の70年(上・下)19945月発行、各1300
自分は生涯を通じて日本共産党を一生懸命理解しようと努めてきたつもりだ。

戦争に反対し、民主主義を守り抜いた輝かしい歴史を持つ日本共産党を憧れをもって見つめてきたし、これからも絶対に反共の片棒なぞかつぎたくはないと思っている。

しかし、党への距離を、これ以上縮めることはないと思う。それは自分の個人的安住を願うエゴからだと決め付けられてもしょうがないが、この背景のどこかに、とても自分には党のあの空気はかなわないという正直な気持ちがある。このことはこの度、党史を通読し再確認した。

かってゾルゲ事件に深い関心を持った。尾崎秀実は命をかけて社会主義の砦ソ連を守ろうとし、最高機密情報をソ連に送信した。しかし肝心のソ連はスターリン独裁下にあり、貴重な情報も正しく生かされなかった。社会主義の政治システムは完璧でないどころか、すごく危険で不安定なものではないか、そう思い続けてきた。

革新都政が始まったころ、共産党が一番力を入れたのは同じ反体制の一翼である、未解放部落運動の朝田派なるグループへの攻撃だった。美濃部さんも忍耐の限界を超えて結局革新都政は自爆同然だった。何故素性の幾らか違う、近くの勢力にこれほどまでに、むき出しの敵意を燃やし続けるのか、力の入れ方が理解できなかった。

ベトナム戦争、原水爆禁止世界大会が燃えた頃、共産党は勿論先頭に立って頑張ったが、同じ学生運動の一部を反党勢力として、敵と位置付け、多くの学生達に失望感を与え、素朴な学生達に党への違和感から反共感覚を与えつけた。どうしてそこまで党は自己の正しさを主張し、相手を罵倒するのか。

しかし、こうした実感は党と外部の関係ばかりではない。歴史の英雄として記憶されるべき党の人々も今や同じ様に、ことごとく否定されていく。

今回党史を読んで、何故野坂参三、中野重治、志賀義雄、佐田稲子、神山茂夫、袴田里見等戦前からの闘士が党を追われたか、その経緯は読んでみたものの後味の良いものではなかった。あれほど貴重な生涯を一途に党に捧げながら、最後には裏切り者の烙印を押されて歴史に捨てられる。これではご本人は浮かばれない。

とても自分には、完璧に総てを判断しつくす能力はない。自分はあの当時毛沢東の文化大革命も毛沢東が過ちを犯すはずがないと信じて疑わなかった。しかしその後仕事の関係で数十回と中国に出張し、現地の人々の生の声を直接聞く度に、地獄の正体を知りぞっとした。恐ろしい修羅場を中国の人々は、党の権力闘争の為に味合わねばならなかった。文化大革命は所謂歴史の必然などと位置付けられるものではない。党の権力闘争そのものだ。

しかし日本共産党は当初より文化大革命の過ちを指摘していたし、ソ連、中国の社会主義大国に臆することなく、相手の非を堂々と主張し、大国覇権主義を否定していた。日本共産党の姿勢にあらためて敬意の感情を持ち、すごいと思っている。

日本共産党は大国の覇権主義に反対し、歴史はどう在るべきかをきちんと判断し、対応してきたことは認識している積もりだ。この日本共産党のすごさは世界の共産党の中でも飛びぬけて未来を見抜く毅然たる実力の持ち主であり、指導者の優れた資質を証明するものだ。

しかし、スターリンも毛沢東も金日成もチャウセスクも、結局歴史の悪人ではなかったか。これでは一度しかない人生を党に捧げたら最後、いつ何時自分も歴史の悪人になり兼ねないし、され兼ねない。

そういう人生は取り返しのつかないことになる。科学的社会主義は今後も勉強したいと思うが、それは自分の人生を総括する意味でであり、それ以上の何物でもない。

何故なら自分はそれほど強くもないし、必ず過ちばかりおこすであろうし、そのたび毎に、自分の過ちを厳しく追求ばかりされるのはかなわない。

反共に対しては激しい怒りを感ずる。しかし自分も真っ赤になって闘う人生を選択するほど強くない。これからも、今の自分の視点で、歴史の発展する方向に肯定的な光をあてながら、自分の歩いてきた道を振り返り、どう人間は生きるべきか最後まで求めて行くつもりだ。自分の足元を確かめながら。

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