199811

資本論を読み終えて、今こんな感動に浸っています

西川尚武

何故資本論を読もうとしたか

この5月、60歳定年を迎えたのを機会にホームページを開設、ささやかな3つの誓いを宣言した。

目標寿命65歳、それまで健康を維持し、妻と旅スケッチを楽しみたい。これからは、知への接近と題し、自分が歩いてきた道は本当にこれで良かったのか、総括していきたい。

具体的にどう総括していくか、まだ春先には何も決めてはいませんでしたが、幸い定年間近に発行された資本論上製版から取り組むこととしてスタートした。

どうやって資本論を読破したか

毎日近くの図書館に通い、英語版と併読しながら、1節毎にメモをホームページに残し、1章毎に幾つかの参考書によって現代の視点からマルクスの理論を整理し、この11月、約6カ月を要して待望の資本論読破の日を迎えました。

この間、資本論に併行してサラリーマン現役時代には多忙の為、読めなかった数多くの本、特に司馬遼太郎の街道をゆく全巻にも挑戦、これ等の読後感もホームページに残した。また、10月になって、新たにハングルを学ぼうと決意し、ハングルキーボード操作を目下習熟中。

サラリーマン何と多くのものを失っているか

自分は会社生活37年間、どちらかと言えばスペシャリストを目指して歩いてきた。幾つかの語学に挑戦したり、技術士の資格や、中小企業診断士そして趣味を生かした博物館学芸員の資格等も確保した。機会ありヨーロッパ各国の博物館を業務として見学する機会にも恵まれ感謝している。

他方ゼネラリストの世界では、課長と部長、部長と重役そのわずかなステイタスの差異は、確かに御本人達にとっては重大問題かもしれないが、そのステイタスを得んが為、世のサラリーマン、何と多くのものを失っていることか。そんなことを考えると技術者としてスペシャリストの世界に生きてこられたのは恵まれていたと感謝している。

サラリーマンは脅えた生活を強いられている

残念ながら世のサラリーマン、左遷、出向、失業と身に降りかかる不幸にいつもおびえながら一人一人必死の思いで神経を張り詰め、会社生活を過ごしている。一度しかない人生、どうしてそんなに脅えて生きていかねばならないのか。定年になったら、こうした問題をもっと深く、しっかりと考えてみたいと、かねがね密かに定年が訪れる日を楽しみに待っていた。

気休めの本は読んでも解決にはならない

そんな気持で、定年後、物の見方に関する幾つかの本、例えばセネカによるストア哲学、フォイエルバッハによる倫理的人間学、幾つかの文学作品、歴史小説、陽の当たる穏やかなる柳田民俗学等貪り読んでみた。しかし、現代サラリーマンにとって切実な、どうしたらこの世の中で人間らしい生き方が貫けるのかという基本問題は先ず、毎日生活している資本主義社会の根本的仕組みを理論的に把握せずして、いかなる哲学を訪ねたところで、それはひとときの自己欺瞞、自己陶酔に過ぎないのではないかと思うようになった。

サラリーマンは、1匹の蟻か

無数の蟻が脇目も振らず、せっせと小さな巣を目指して行き来する姿は、まさにサラリーマン生活の投影図、しかし蟻ならばまだしも、自分達は人類という長い歴史によって培われた、生きるに値する堂々たる、尊厳高きひとりの人間ではないか。未来を見つめて胸を張りたいね。

毎日繰り返している生産活動、生活体験は、人類の歴史的発展段階のひとつの過程として認識し、現代資本主義の経済運動法則をきちんと学び、その上で人間としての大切な立脚点、すなわち一人一人の生き方を確保していくべきではないか。

資本論を読める幸福感

工学部に学んだ自分には経済を理論的に、体系的に把握する過程は容易ではない。

しかし今回、資本論を読了し、この芸術的とも評される古典名著に感動し、生きるとはこういうことだったのか、もの作りとはこういうことだったのか、歴史とはこういうものなのか、始めて理解出来たことに感謝し、定年を迎え、今こそこうしてゆっくりと不滅の大著に没頭出来る自分を幸せに思う。

偉大な贈り物を受け取ろう

しかし、この大著の内容とするところはあまりにも深く、広すぎる。あえて彼方此方の欺瞞的知識切り売り人が書き立てるお決まり文句、「資本論なんて、もう古い」との決め付けには、改めて怒りすら感ずる。マルクスは経済的に極貧の生活に苦しみながら、我々後世の為に生涯を捧げて残してくれた貴重な論文の数々、とても一度読んだくらいでマルクスの訴えている内容の何分の一も理解出来るものではない。自分は、これから更に、もっと深く、広く、がっちりと学び、その上で再度資本論を最初からきちんと学び直してみたいと思い始めている。 定年に際して自己宣言した我が人生総括の道程は、こうして先ず現代を見つめることから始めたいと思う。

 

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