シルクロードに立って思う

成田空港出発間際から、シルクロードの大草原を時速100Kmで走り抜けるその間も、そして、崩れかけたシルクロード遺跡をスケッチし続ける時間はいつも、異色の作曲家“喜多郎”の名曲「シルクロード」のテープを常に耳にしていました。あの夢を追い求める様なエレクトーンの流れにこそ、シルクロードの雰囲気は見事に結晶していると思います。

JICAのお仕事は大きなテーマでした。社会主義崩壊後のウズベキスタン繊維産業に日本は一体何を支援出来るか。

今のままではとても西側諸国に太刀打ち出来ない技術格差が歴然としてあり、この格差はこの国の大繊維コンビナート数十万の労働者雇用不安へと直接結びついていきます。


これは中山恭子日本特命全権大使から昼食会にご招待を頂いた時の写真です。昼食会の話題は日本がこの国に何をしてあげられるか、大使もこの問題には真剣に考えておられました

(中山大使は席上「マンチェスターの栄光と没落」に大変興味を持たれ、大使館員にこれをロシア語に翻訳して、ウズベキスタンの方にも読んで頂くようにと、指示して下さいました。)

この国の人達から、社会主義の悪口を何も聞きいたことがありません。皆さん昔も、今もささやかな毎日の生活に納得して暮されているようです。

しかし、市場経済に参画しこの国がきっと驚いたのは、資本主義との余りにも大きな力の格差かも知れません。

この国は今一生懸命自分の足で起ち上がろうとしています。しかし、資本主義の仲間に入るのは、本当に大変なことだと思います。

田舎から出てきた素朴な少年が、今大都会の真ん中に立って呆然としている姿を想像して下さい。これがウズベキスタンの繊維産業です





3週間ウズベキスタン国内の多くの工場現場を訪問しました。40万錘もある世界一大きな紡績工場も見学しました。7千人もの労働者が一生懸命に働いています。

砂漠の灌漑で、地中の塩が地上に吹き出し、白い塩が山の様に積み上げられている光景も眺めました。( 本件に関しては、加藤周一著、「ウズベック紀行」を併読下さい。

砂漠の岩陰でじっとして灼熱の太陽を避けている大とかげや、砂漠の彼方に浮ぶ蜃気楼も見ました。

シルクロードの古都、サマルカンドでは、太陽に照らし出されたモスクの輝きに神秘的な美しさを実感しました。土塀の小さな路地裏からのぞいたミナレットの不思議な調和に、「ああ!ここがシルクロードだな」とつぶやきました。

BC400年アレキサンダー大王の東方遠征、漢の武帝は張騫を中央アジアに派遣し、3世紀仏教美術は敦煌石窟を創作し、7世紀アラブ人はイスラム教を普及し、長安国際都市にはソクド商人があふれ、13世紀チンギス・ハーンはサマルカンドを略奪し、マルコ・ポーロは東方見聞録を残し、ティムール王朝はサマルカンドを再興しました。

西洋と東洋の文化はシルクロードで結ばれ、日本の文化も遠くここシルクロードから伝わって来たのです。

今私はシルクロードの古都に立ち、この道を歩いたであろう無数の旅人に思いを寄せ、自分も、いつの日か生涯の終りを迎え、きっとつぶやくだろうと予感しました。

「自分は生きてシルクロードの古都に立つことが出来た。なんて幸せな人生だったろう。」と。

自分は自分の生命につながる無限の歴史を忍びつつ、人類のドラマに自分はこうして確かに結びついている幸せを素晴らしいと思った


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