定年後の読書ノートより

私の現代史14―ドイツ革命―岩波世界歴史25―富永幸生著、岩波書店
第1次世界大戦参戦を支持した社会民主党に対し、カール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクは戦争反対を主張、スパルタクス団を組織したが、その組織力は極めて弱かった。

1918年第1次世界大戦ドイツ敗戦を機に11月革命が勃発、ウイルヘルム2世退位、社会民主党エルベートが臨時政府樹立。社会民主党は議会主義の立場を主張、一方ロシア革命の影響下、労働者、兵士からは労兵協議会を主体とする革命気運が盛り上り民主社会党とスパルタクス団は国民議会選挙を主題に対立した。

議会政治への一元化を進める社会民主党は国民議会選挙を主張、一方左派は労兵協議会による議会包囲を進めたが、劣勢であるスパルタクス団の指導は分散的で全国規模の革命気運誘導に成功していなかった。12月30日のスパルタクス団からドイツ共産党へ改名後の創立大会で、国民選挙に参加すべきか拒否かで議場は分裂、リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクの議会選挙参加案は認められず、以後ベルリン武装蜂起へと組織方針は決定されていく。

1919年1月ベルリンでドイツ共産党武装蜂起、社会民主党エーベル内閣はこれを武力鎮圧、リープクネヒトやローザ・ルクセンブルクは虐殺。以後ドイツ共産党は壊滅的打撃を受け、革命は挫折。

挫折したドイツ革命に関し、ロシアは社会民主党による裏切りと位置づけ、以後一国社会主義路線が打ち出される。他方保守側は「ボルシェビキ」に対する防衛に成功したドイツ社会民主党の功績を評価。

ドイツ革命失敗の歴史的評価は、労兵協議会組織に、「民主主義」の可能性を探り、協議会組織に政治権力を結合させていく民主化を実現していく努力をせず旧軍部と官僚組織をそのまま温存した社会民主党の妥協が、その後のドイツの国家的悲劇に結びついていったとする歴史評価が定説である。当時の記録によればローザルクセンブルクも社会民主党の非革命性を糾弾しながらも、大衆の民主主義未成熟と大衆の民主主義教化こそ重要であると強調していることもまたこの史観の妥当性を裏付けている。

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