定年後の読書ノートより
新・学問のすすめ、鷲田小弥太、マガジンハウス1997/5
鷲田哲学6冊目。

かって学問は、手段だった。今もそうだ。学問をしないといい仕事に就けない、良い仕事をやり抜けない。高速で変化するこの時代、様々な変化に対応可能なより広い教養を持つ努力を欠かすことは出来ない。能動的に、新しい人生を生きる喜びを学問に求め、自分の未来を開く、絶好のチャンスは学問によって与えられる。学問をすること自体に、生きる喜びがある。学ぶことは人生を快適に生きる手段だ

情報社会で学問するものには、パソコンは欠かすことは出来ない。情報社会は、コンピュータ社会だ。パソコンは機械だが、思考機械だ。パソコンで書くと、創造的思考が増進する。パソコンを嫌う人は、機械音痴というよりは、これまでの思考習慣をやめたくない保守主義者である。別に悪いわけではない。もったいないと思う。学問がエリートたちの趣味であった時代はとうに過ぎた。学問に研鑚を積んだものが、自分の力でよりよい未来への風穴をあけることができる。

情報社会では、知識や技術が「情報」商品となる。マルクスはすべての富は商品形態をとって現われると言った。すべての商品は情報とともにあるという新しい定義を付加しなければならない。

哲学上の問題について、これはどういう意味かと、私に尋ねられることがある。知識には金が要ると私は答える。ケチなのは、聞いた当人であることに気付かない。知識や情報に関して、まだまだ等価交換を是認出来ない人がいる。知識や情報は、直接聞けば、つまり商品の形をして流通に乗っていなければ、ただだと思っている脳天気がいる。

パソコンは「人」が「言葉」で動かすのだ。パソコンは活字の世界を一段高いところに引き据えた。本にはそれを書いた人の人生が詰まっている。おろそかに出来ない。ヘーゲルの代表作を、ポピュラーダイジェスト版で誰か創ってくれると良い。ダイジェスト、抜粋、翻訳などは、原著者の、原文の精神を切り縮め、歪めるものだ、などというのは事大主義だ。これ、1冊読めば、世界の哲学の流れが大づかみ出来るだけでなく、その精神が感受できる世界哲学短編集を作りたい。

私は、自分が強いられた「機会」や「運命」が、よい方よい方に回転するような歯車を持っていたことに感謝すると同時に、これは自分事ではないと強く念を押してみたい。

この本はなんと伸び伸びと、明るく、元気で、力強く書かれていることか。かっての、あの大阪唯物論研究会に、窒息しそうな、誰も見向きもしない地下室に閉じこもって、イデオロギー現状分析を書いていた同一人物とはとても思えない、解放感に満ち溢れ、生き生きとしている。そして、あらゆることに好奇心一杯で、少しの時間も惜しんで新しいことに挑戦していこうとする自信に満ち溢れている。

どうしてこうした情熱を手にすることが出来たのか、それをこれから鷲田氏の本を読み重ねて探っていきたい。

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