定年後の読書ノートより
アジア学のみかた、AREA MOOK、朝日新聞社
この本の、「中央アジアの民族問題」袴田茂樹著を読む。

1997年タシケントのレストランで著者とロシア青年との会話から始る。「1991年ウズベキスタン独立後は、ウズベク語の出来ない人間は、公務員や管理職にはなれない。しかし自分はロシア語しか話せない。これでは自分はこの国に職場すら見付けられない。月80ドルのコンピュータ関連の臨時の仕事しかないが、将来ロシアに帰りたいがそれすらも、資金が無くて決断出来ない」と。

1985年ドルバチョフのペレストロイカ民主化政策は、民族アイデンティティを自覚させ、今まで押えられた民族間利害を表面化させた。1986年中央アジアカザフスタン民族暴動は、ブレジネフ色を除くため、かって皇帝の如き権力を行使していたカザフ共産党第1書記カザフ人クナエフをロシア人コルビンに更迭したことから端を発した。この問題ではに家父長的土着権力者クナエフ派のみならず、日常生活に不満を持つ若者の民族的な反発も加わり、死者を出す大暴動となった。

中央アジアはかってトルキスタンと呼ばれる一つの国から分割され、国家間紛争はあまり大きな心配はないが、スターリン時代、グルジアを追われたトルコ系イスラムシーア派、メスヘティア人がウズベキスタンに強制移民させられた歴史とか、ロシア人、ドイツ人、朝鮮人強制移動の歴史があり、少数民族の悲劇は、今も数々ある。

ロシア人の強制移住民はカザフスタン37%、ウスベキスタン8%、キルギスタン21%トルクメニスタン10%にのぼり、ロシア語も今では公用語ではなくなり、キリル文字のロシア語すらアラビア文字やラテン文字に切り替えされている。ロシア人は我が子の将来を悲観しロシア本国への帰国を望んでいる。

中央アジアでは、近年「イスラム再生党」と呼ばれるイスラム教の原理主義運動が強まり、旧共産党系の政権と激しく対立している。最近アフガニスタンでは、「タリバーンと呼ばれる原理主義勢力」が、ウズベキスタンなど中央アジア諸国にその影響力を及ぼし始めている。

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