定年後の読書ノートより
ヘーゲル哲学、ルネ・セロー著、高橋允昭訳、白水社、文庫クセジュ
「ヘーゲルを識らずして、ベートーベンが判るのか」。団伊琢磨氏ドイツ留学中ある教師から受けた衝撃的な一言。ヘーゲルを抜きに西欧文化など判らないと。

ヘーゲルとは、自然、歴史、精神の不断の運動、変化、発展をとらえようとした弁証法哲学。しかしこの試みは貫徹されなかった。何故ならば、ヘーゲルは観念論体系に立っていたから。ヘーゲルの著作は文体の重苦しさ、極度の緊張、粘着性のため読みにくく難解である。最近、資本論読解の過程で、マルクスの展開は、ヘーゲルの、抽象から具体化への上層過程の思考方法を展開したものだとの論文を目にして、やはりヘーゲルの「小論理学」を読まねばと、目を通してみたが矢張り全然歯が立たない。とても自分には、このまま「小論理学」に挑戦し続ける力がない。急がば回れ。哲学は一体どうやって学んで行くべきなのか調べてみた。

哲学をどう学ぶか、AREAMOOKで整理してみた。哲学書を読むには、哲学辞典によって、術語の定義を知り、使い方を知ることが不可欠。問題を十分に考えぬくこと。易しい参考書から次第に難しい参考書へと移りながら、対話や討論を続けること。古典を読む事。哲学に興味を持つ事。その文化的母胎を体得すること。厳密で明快な思考力を養い同時に包括的な視野を持つ事。真正面から自分を見詰めて、1日10行でも20行でも良いから書き記す事。1人の著作の仕事を徹底的に追いかけてみて彼の胸を借りて自分の問いを深めていくこと。以上のような道をたどって始めてヘーゲルの「小論理学」が読めるようになる。

現在の自分にはヘーゲルの有名な言葉すら理解出来ない。

  • 理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。

自分には、毛沢東の実践論や、矛盾論を読んであれほど素直に理解できたのに、ヘーゲルの「小論理学」はサッパリ理解出来ない。ヘーゲルが難解であるという怒りばかりではなく、観念論として、100%信じ、信条化しきれない論文を、どこまで理解していけるのか、おどおどしながら読んで行くほど不愉快なことはない。自分にはもうそんなに時間がない。ヘーゲルはその後の時代の多くの哲学者達に映ったヘーゲル像を自分のものにしていけばそれで良いではないか。

今更、難解な「小論理学」を何十日も掛けても読破していくほど、自分には余裕も、能力もない。ヘーゲルがその後の時代の人達にどう映っているのか、むしろそちらから学んで行こう。自分にはもうあちこちふらふらしている時間すら残されていない。

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