定年後の読書ノートより
伝統的理論と批判的理論、ホルクハイマー著、久野収訳、昌文社1974年発行
1929年世界的大恐慌はドイツ経済を破壊し、失業者600万人を生んだ。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は共産党、ユダヤ人への市民的偏見を巧妙に扇動し、国会議員を12名→107名→230名と増やし議会権力を握り、1933年ヒトラーを首相にさせ、1935年ユダヤ人のドイツ国籍を剥奪し、ドイツ国民のナチスへの盲目的追従が始った。

この哲学論文は5部構成からなっている。伝統的理論とはデカルトの方法序説やカントの純粋理性批判等の認識論を意味し、伝統的理論とは主観的概念を、整理し、普遍化し、体系的構成をめざすだけのものである。この認識論では仕事は分業的、専門的に行われるが、仕事間の関連は見通されないばかりか、個々の部分での合理主義が支配しても、現実的な社会的、人類的な問題に関する無関心が避けられず、結果として伝統的理論とは現実を受容し、それを秩序づけるだけで、現代社会に批判的な照明をあてるという努力はされていないといえるとした。

こうした伝統的理論に対し、批判的理論とは、マルクスの「資本論」に代表される認識論であり、歴史や社会は、人間の活動ないし労働のプロセスであり、全体は彼等自身の対象とする所与世界であり、現実の矛盾は、人間自らが生み出した自己矛盾であり、この自己批判的な矛盾の認識が批判的理論である。批判的理論とは現在における思考の最も進歩した形態であるから、人間のために思いわずらう思考的努力の全てはそれぞれの意義に応じて、この批判的理論に合流する。それゆえ批判的理論は、理論自身の構造的特色が、理論をして歴史的変革に向かわしめる。

フランクフルト学派は、現実の社会、人間、意識を分析し、そこに内在する自己否定の弁証法を内側から照明し、明白にしようと努力した。

1933年ユダヤ人哲学者ホルクハイマーはナチスに追われ、スイスに逃れ、1934年コロンビア大学の招きで米国に亡命、1937年「伝統的理論と批判的理論」を発表した。しかし当時のアメリカ学者は経験的研究に集中し、ホルクハイマーの理論的思考法にはあまり関心を示さず、この理論が注目されたのは戦後になってからである。

ホルクハイマーは、第2次大戦後、いち早くマルクス主義における自由の研究に乗り出し、社会が統一的なものにおかれれば置かれるほど、そこには自由はなくなると主張し、鋭くスターリン主義および官製マルクス主義と対立した。マルクス貧困化論を誤りと指摘し、また社会は自由の方向に動くと考えたマルクスの過ちを指摘した。ホルクハイマーは労働者にとって貧困が無くなろうとも、自由を欠いては人間の幸福は有り得ないと主張、自由を希求する批判的理論が意義を有することとなる。戦後のマルクス主義が犯した幾つかの失敗を早い時点から指摘したホルクハイマーの先見性に今一度光を当てて考察すべき時が来ている。

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