定年後の読書ノートより
手にとるように哲学がわかる本、佐藤正英監修、甲田烈、山本伸裕共著、かんき出版
通俗的とも言いたくなるような表装で、似たような本が2冊出版されている。どちらも東洋大学関係者による出版だが、「図解哲学のことが面白いほどわかる本」と、上記「手にとるように哲学がわかる本」の2冊を読み比べ、「手にとる本」の方がはるかに内容的に良く書けていると実感した。

文明開化以降、和魂洋才の自然科学は翻訳を通じて日本人にも容易に理解できたが、哲学はあたかも日本人で言えば俳句の如く、洋魂洋才の世界で、翻訳だけでは日本人には難解すぎる世界だった。しかし今回の如き、通俗本普及で、どこまで我々が哲学に近づけるか期待したいところだが、例えばヘーゲル哲学を例にして2冊の内容を比較してみた。

ヘーゲルは哲学を体系化しようと挑戦した人である。カントは、デカルト以来の、主観と客観の一致に関して、人間は感覚的には、経験出来る世界しか知ることは出来ないが、理想や観念において、理性的に生きることを欲する存在であるとした。ヘーゲルはカントの哲学を、静的な認識であるとして、認識の問題と歴史の問題とをもっとダイナミックに捉えるべきだと考え、精神現象学を著わした。認識は発展するものだ。意識の成長は断片だけでは捉えられない。歴史も発展するものだ。それは個人と共同体との未分化、争い、和解と発展の段階で示される。これら認識や歴史の成長を貫く原理は「絶対精神」である。絶対精神こそ、自己を外部に展開させて、人間をとりまく自然環境となり、やがては個人の意識、世界の歴史となる。しかしマルクスはヘーゲルの弁証法はプロイセン国家を絶対精神と同一視した矛盾を指摘し、哲学者は世界をいろいろと解釈するだけで、世界を変えようとはしなかったとし、現実の歴史、生産力と生産関係の矛盾こそが歴史を発展させるエネルギーであるとした。ヘーゲルの哲学は頭でっかちで逆立ちしている観念論であり、唯物弁証法哲学こそ、歴史の発展が正しく反映されているとマルクスは主張する。以上が「手にとる本」にまとめられているヘーゲル哲学の紹介である。

一方、「図解哲学」の方では、ヘーゲルは歴史の問題を哲学に導入した始めての人物で、人類の歴史は「自由の実現過程」にあるとした。ヘーゲルの歴史は、「精神の歴史」であるという如何にも項目羅列による抽象的で、断片的な著述で終わっている。これでは読者はヘーゲル哲学の何たるかさえ理解は出来ない。「手にとるように哲学がわかる本」の方が、はるかに読者に一生懸命哲学とはどういうものなのかを知ってもらおうという意識で書いているなと実感する。

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