定年後の読書ノートより

「にがい米」、福田静夫、 イタリア映画を楽しむ会
イタリアの集団出稼ぎ女性労働者の中で起きた、米国的夢追い文化型とイタリア土着姿勢型のふたつの恋を絡ませたネオリアリズム手法で描いた傑作。同じ「米」を描いた、今井正監督の「米」と比較すると、イタリアと日本の農民そして人間の把握、視点の重点を集団をとるか、個人を観るかなどの違いは面白かった。面白かったのは、実は映画もさることながら、開始前のわずかな時間、映画会を主催しておられる解説者の哲学者福田静夫先生と交わした個人的会話。目下自分が読み始めている哲学者鷲田小弥太氏の節操問題を率直に質問してみた。

西川「最近鷲田氏は自己の哲学を大きく右旋回しています。誰か鷲田氏をテーマに書いていませんか」福田「同じような人は一杯います。特にかって全共闘と言われた人達に多いですね。一人一人の傾向は黙殺されています

西川「鷲田氏は自己の思想変化を多くの本にしています。若い人達への影響を野放しに出来ないと思いますが」福田「一人一人の動向ではなく、同じような動向をとる人が一杯います。こうした人をまとめて、一つの思想としてとらえて行くべきでしょうね」

西川「気の弱い私など、鷲田氏の本を読み漁ると、氏の影響をそのまま受けて自分を見失って行くのではないかと心配です」福田「鷲田氏を知ろうとすれば、どんどん読むべきです。時代の影響を受けて、哲学は変化していくのは当然です。変化しない方がおかしいのです。どんどん読みなさい」

西川「しかし、大きく右旋回していく鷲田氏の本を読んでいけばいくほど、自分の原点、自分の基準が判らなくなり、知らぬ間に大きく鷲田氏の考えに影響されている自分になってしまいます」福田「それは確かにありましょう。そのためには、広く読むことが必要ですね。特に前衛組織が今どう考えているか、時々党の出版物ものぞいてみる必要があります」

西川「しかし、たとえば12月号の雑誌経済哲学特集を読んでも、具体的に、現代哲学者のこうした右旋回のテーマなどを取り上げて書かれていません。論文は抽象的で理解困難です」福田「そうした意味では、ここでやっている哲学セミナーなんかが、ひとつの判りやすい、判断基準になるのではないでしょうか」

話は、5分以内の短いもので、これ以上は深められなかったが、福田先生から鷲田哲学を如何に読むべきか貴重な指針を頂いたこと嬉しかった。

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