定年後の読書ノートより
中央アジア・旧ソ連イスラーム諸国の読み方。石田 進編、ダイヤモンド社
中央アジアとは、ソ連から独立したイスラム6カ国、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、カザフスタン、アゼルバイジャンを意味する。但しソ連では北部が草原地帯であるカズフスタンとコーカサスにあるアゼルバイジャンは中央アジアには入れていない。19世紀末、遊牧騎馬民族はロシア帝国により侵食され、その後ロシア革命によって、半ば強制的にソ連圏内に組み込まれ、ロシア語教育と無神論を70年間強制されてきた。これらの国々は、1991年ソ連崩壊に伴い、独立国として発足。

ロシア帝国に併合される前、トルコ系のムスリム住民の民族意識は遊牧民なるが故にか未成熟であった。ソ連は1924年便宜的な言語のみによる「民族・国家境界画定」で6つの共和国に分割。共産党による上からの近代化は、一方でイスラムによる民族主義を押え込みそれなりに植民地支配は平穏な推移を経てきた。

1991年ソ連崩壊以後は、ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタンは共産党を人民民主党と党名変更、そのまま民主主義とナショナリズムの先頭に立ち、旧指導者であるムスリム・コムニストによる政治体制が続いている。見かけは民主性、内実は専制とも評されている。ソ連CIS体制は、ロシア経済不振で機能不充分。目下中央アジアは石油資源に恵まれた「最後の未開拓市場」として世界各国の注目を集めている。

中央アジア諸国には幾つかのジレンマがある。スターリン時代独ソ戦下での強制移民が今もそれぞれの国には少数民族として火種になっている。6000万人のうち、トルコ系言語とイラン系言語に大別されるが、その内部は言語的に複雑に交錯いており、共通語として、70年間学問の世界ではロシア語のみが使われてきたが、今はソ連崩壊で権威低下したロシア語の位置づけに苦慮。しかし、ロシア語に代る未来の言語地図は見えてこない。クレムリン支配の便宜的に決められた言語のみによる国境策定には少数民族問題が付きまとい、ウズベキスタン2000万人の70%はウズベク人であるが、4%は隣接するタジク人、隣接のタジキスタンでは60%のタジク人に対し、23%のウズベク人、こうした問題は、中央アジアのそれぞれの国で、今もくすぶり続けている。

1987年ソ連体制下、タジク人はウズベク化政策に抗議、タジク人組織「サマルカンド」を組織した。1989年ウズベキスタンで綿花モノカルチャで貧困にあえぐウズベク人と商業利益に浴するトルコからの移民メヌフ人との衝突は死者を出す事件に発展している。独立後はかってのKGBによる弾圧政策もなくなり、一方イスラム復活の中で、新たな民族間対立が紛争の種になっている。背景には政治、経済、社会の不安定が原因となっている。ウスベキスタンの場合は旧共産党統制を維持教化して経済発展路線を進めようとする政策はある程度成功している。

歴史的にみて、中央アジアのイスラムは土着のトルコ系遊牧民のシャーマニズムを生かしたイスラム神秘主義スーフィーの伝統がある。ロシア帝国はムスリムの社会と文化に対する放置政策をとってきたが、1917年社会主義革命に際し、レーニンはムスリム大衆に自治を認め、これを広く宣言している。

ソ連のムスリム政策は、ムスリム・コムニストを体制側に引き寄せる一方、民族主義的ムスリムをKGBの力で弾圧し、粛清も重ねてきた。独ソ戦ではムスリム協力を得る為、宗務局による官許イスラム体制を生み出し、それなりの成功を納め、ムスリム・コムニストの地域権力者も地盤権力を固めてきた。しかしバスチマ運動等の流れを汲む草の根イスラムの流れは反ソ的性格を維持し、その後のイランの革命輸出や・イスラム復興運動に対する受け皿となっていく。1979年イラン革命は、親ソ政権であったアフガニスタンに強烈な影響を与え、これを武力で支えようとしたソ連軍のアフガニスタン侵攻はソ連崩壊の時期を早める結果になってしまった。

独立後の中央アジア諸国は、今後の自国経済確立を、如何なる経済ブロックに組して強化していくか、その方向を模索している。CISはロシアの力不足で機能していない。EOC経済協力機構のイランは黒海経済協力機構のトルコに比較して資金的実力はあるが、イスラム至上主義に対する警戒心が中央アジア各国にありイランとの接近には慎重である。こうした中、日本は中央アジアをODA供与対象国に加え、ウズベキスタン、カザフスタンに大使館を設立している。中央アジアはかってソ連一方に向いた交通網を、今後の国際化に対し再整備する必要があり、航路設定が急がれる。

石油資源はカザフスタンが特に有力視され、「21世紀のサウジアラビア」と自国を豪語している。石炭は高灰分で公害対策が必要である。ウズベキスタンは綿花栽培のモノカルチャとして長く体制下に組み込まれてきた為、早急な多角的農業の開発が急がれる。大戦中ソ連からの疎開してきた移設工場の設備も今では旧式となり、早急に設備更新を如何に進めていくかが重要。

中央アジアにとって、深刻な環境問題がアラル海に発生している。アルカリ塩性土壌の砂漠地帯で灌漑農業を進め、綿花耕作を拡大しようとしたソ連中央の計画は、複合した環境破壊を広範囲に発生させてしまった。アラル海にはシルダリア川とアムダリア川の2河川が流入しているが、ソ連中央は自然大改造事業を展開、2河川の水を利用し、灌漑を行った。アラル海は20年間で50%の湖面縮小、海水の塩分濃度急上昇、水位低下と塩組成で漁獲高壊滅、綿花枯葉剤で新生児死亡率11%にのぼり、乾燥した湖底の結晶塩は風で吹き上げられ、塩塵により住民の眼病等健康障害多発、灌漑農地では地下水位上昇、毛細管現象により地表に塩類析出、農地の存在基盤そのものの危機。すでに開拓された農地の4割は耕作不能。環境管理の失敗は、中央集権的な共産主義体制の問題として、政治システムそのものに欠陥があったと総括されている。

この度、ウズベキスタンにODA開発事業事前調査の一環として、技術士会業務に関連して、現地出張することとなり、始めて中央アジアの広範囲な知識を整理してみた。かってシルクロードのロマン豊かな遠き国として、またソ連政治体制に組み込まれ、すっかり忘れられてしまった国として、時々起きるショッキングな事件を通じてしか、その存在を意識するだけだった中央アジアの国々を大きく見渡してみると、随分幾つかの問題に面し、正直知的好奇心を大きく開かれた。これを機会に、関連する幾つかの問題をもっともっと深く追及していこう、今そんな気分になっている。

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