定年後の読書ノートより
書評の同時代史、鷲田小弥太、三一書房、1982/4
この本が発行されたのは1982年4月、この本に取り上げられた書評20件は1980年から1981年に執筆、巻末の大阪唯研の「イデオロギー現状について・覚え書」は「季報 唯物論研究会」1981年4月号掲載である。氏は当時の自分の生活をある本でこんな風に書いている。「大学教授になるには能力は普通で良い。大学を出てから10年間、無報酬でひたすら学問のための学問をやる忍耐力と資力があれば、なれる。」「学ぶ費用は高く、見込める報酬は少ない徒弟制度の中で、自分は幸運にも、三一書房の林氏や人気評論家の谷沢永一先生等人脈ネットに恵まれ、このころから次々とアルバイトが出来るようになり、200万円投資の書斎は、見る見るうちに10倍以上に見返りが増してきた。」

この本は、そうしたアルバイト稼業のはしりでもある。氏は、その頃すでにマルクス主義哲学に不毛を体感しはじめていた。巻末の、マルクス主義哲学に名を借りた時代イデオロギー分析は、「ああ、このぬかるみの中から自分はどうやって抜け出せるのか。とことん共産党を叩くのも一つの出口、しかし出口はそこだけではないはずだ」。氏の内心のつぶやきが聞こえてくる。

曰く「1976年の日本共産党大会でのマルクス・レーニン主義およびプロレタリア独裁の削除と「自由と民主主義宣言」を頂点とする議会主義路線への転換は、思想上理論上の根本的総括を回避した極めて便宜主義的で折衷主義的な形で行われた」。氏の立場は日本共産党代々木派による日本唯研不当介入を糾弾したかたちの書き方ではあるが、内容はマルクス主義哲学の閉鎖状況を憂い、四方八方にむけてのやぶれかぶれの絶望の声が聞こえてくる。

この本の前半は、小室直樹、渡辺昇一、福田恒存等、「体制派」「反社会主義」的知識人に焦点を合わせた書評が主体。しかし注意深く読むと、書評の中では、体制派評論家の某はこういうことを書いているとしながらも、鷲田氏自身がその内容にどう感じたか、氏の意見は、どこにも一言も書いてないばかりか、むしろ体制派の書き方が、まだまだ一面的でアキレス腱をついていないネという姿勢が見え隠れしている。例えば「小室氏は果たしてマルクスを自分で読んだことがあるのか、まことにこころもとない」と嘆く。氏がすでにこの頃から、一方ではマルクス主義哲学界の徒弟世界に嫌気がさし、他方では体制派の論壇に強い興味を持ちはじめていたことを、1982年の1冊の本は語り始めている。この本の題名は、書評の同時代史―副題として、一読入魂レポートーとあるが、氏にとってこの本は、自分の大きな曲がり角を意識した1冊でもある。しかしその後の氏の猛烈な執筆生活の仕事の中には実は我々学ぶべき多くのことがあり、私自身もこれから当分鷲田氏の本と親しい関係が続くことになりそうだ。

ここをクリックすると読書目次に戻ります