定年後の読書ノートより
入門・論文の書き方、鷲田小弥太、PHP新書、
ヘーゲル哲学の難解な文章に手を焼いている小生、鷲田氏のこの本の中に、何故ヘーゲルは難しいかその解答を観る。鷲田氏が次々と発行するハウツーものだからと言って、軽々しく読み飛ばすには少しもったいない記述なのでポイントをメモした。

論文には、学術的なものか、ジャーナル的なものか、によって約束事が違う。

学術論文は、その専門世界で了解可能な「パラダイム」(理論枠組)や「ジャーゴン」(専門用語)で組み立てられる。例えばカント哲学を論じて「超越論的統覚」という用語を使わなければ、意味が限定出来ず、専門家に通用しなくなる。しかし、新聞紙上でこの言葉を使えば、非難を受ける。また学術論文では、参考文献や典拠を明らかにする義務がある。それをしないで、あたかも自説のごとく書くと、盗作とみなされる。学術論文ではオリジナリティが重要視され、発表する媒体でレフリー制があり、学術水準で掲載の可否を判定される。

特定専門家を相手にする論文を書く場合、専門用語{ジャーゴン}を使うのは許される。論文はどんなに狭い世界を対象にしたとしてもパブリックに発表された、公的なものだ。読者の情緒的な部分に迎合するのは質が悪い。読む人の知見を少しでもクリアにし、拡大し、進化させることである。

難解な文章を一概にすべて否定してはならない。難解な文章が必要な場合だってある。難解な文章でしか表現出来ない論文は存在する。新しい事柄の説明や、全く新しい現象を正確に伝えるためには、旧来の言葉や考えかたの枠組を使用しては不可能だと思えるような場合もある。そうすると、その事柄や現象が一般化するまでの一時期なことではあるが、読者にとって表現の奇天烈さばかりがきになって書き手が何のことをいっているのか理解不能、ということになるだろう。たとえば「自然」や「人権」などという言葉も、いまでは当たり前に使われるが、もともとは明治に西欧思想の訳語として造語されたものである。

難解な文章が、読者にとってすべて理解不能というわけではない。読者のより正確な理解を得ようとして文章が難解になるというケースもあるというこを、知っておいて欲しい。

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