定年後の読書ノートより

尾崎士郎の文学碑。

11月3日、JTCC吉良史跡巡りハイキング途上尾崎士郎の文学碑を見た。

その文章が印象深かったので早速その出典を名古屋市立図書館で調べた。尾崎士郎病床での口述遺作「一文士の告白」からの抜書きであった。

「文学は、ただ、ひと筋の道である。おそらく一生涯かかったところで、満足な飯なんか食える商売ではない。もちろん、はじめから餓死することを目的とするものではないことだけは明白であるが、生活者としての目的と立場を第一義におくものでないことも明白である。これは、おそらく、誰の場合もそうであろうが、作家の幸福は、生活の上に現実の危機をかんじながら、しかも仕事(小説)の中に惑溺することのできる境地に安住することである。これほど玲瓏とした小気味のいい感じをあたえるものはあるまい。」

尾崎士郎は、その生涯を通俗小説の世界に安住し、新潮社御用達新興芸術派倶楽部なる旗揚げにも関わらず、川端康成も自戒するごとく「結果として商業ジャーナリズムに摩滅していった」作家のひとりではあるが、尾崎士郎自身が、自分は幸せだ、何故なら自分には自分の世界が持てるからだとする、どちらかと言えば現在では通用しない人気作家に登りつめたおごりと、通俗小説で何が悪いとの開き直りが垣間みられるが、しかし尾崎士郎にとって幸福とは何であったかをうかがわせる短い言葉に自分も思わず面白さを実感した。そしてまた、定年後の毎日、パソコンに「旅スケッチと読書ノート」を重ねる自分自身もまた、ホームページの中に惑溺することのできる境地に安住する毎日を自分の幸福と感じている一人でもあることを改めて認識し直した

勿論、通俗小説の世界に何の感想も持たないが、自分のホームページには、通俗小説の世界にはない、人間として、本当に生きようとする情熱、キラリと光る何かが、一人の人間の真面目なイキザマを表現していると見て頂ける様な何かがある、そんなホームページを作りたいと思っている。しかし、これは私の側の力みだけのことであって、尾崎士郎が指摘するごとく、自分の中に自分の世界を持つことは確かにゾクゾクする感動だと思う。そういう意味では小説家の精神生活の世界はさぞかし楽しいだろうなあと想像する。

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