定年後の読書ノートより
世界の民族地図、高崎通浩著。作品社
この本の帯に、「人種、民族、語族、宗教、この複雑な民族問題を1冊に集約」、とあるが、常日頃、民族問題を考える際には、先ずこの本を開いて、民族の歴史を詳しく調べる。この本は、ストーリーを通じて、歴史を教えてくれる。一般の書店には見当たらず、自分の場合、出版社に電話して直接購入した。

1880年代に開始されたロシア軍の進出により、ウズベキスタン(ウズベク族の居住地)は次々とロシアの勢力圏に入る。1867年、ホーカンド・ハン国領を侵蝕しつつあった帝政ロシアは、タシケントを首都とするトルキスタン省を設立する。次いで、ボハラ・ハン国、ヒバ・ハン国が、それぞれ68年、73年に、ロシアの保護下に置かれ、76年には、ホーカンド・ハン国の全土がロシアに併合された。こうして、かってのシルクロードの東半の清朝支配下と西半の帝政ロシア領に分割されるに至る。

1880年代末には、旧ソ連領中央アジア全体が、帝政ロシアの支配下に入るに至る。帝政ロシアは、これらの地域に、植民地収奪の体制を確立する。すなわちウズベキスタンを中心とする西トルキスタンは、ロシアの軽工業のための綿花の一大供給地にさせられていく。この綿花栽培は、ロシア革命後も進展し、1970年代、ソ連は世界最大の綿花生産国に伸上がるに至る

この本には、19世紀後半のロシアの中央アジア進出の地図があり、当時の国境線は、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア、ウクライナであり、隣接している国々は、清、アフガニスタン、ペルシア、オスマン帝国となっている。

またウズベク族の民族史に関しては、14世紀後半、南ロシアの草原地帯に民族形成がなされ、16世紀南下してティムール帝国を滅ぼし、アム川以北を支配した。ここにボハラ・ハン国、ヒバ・ハン国、ホーカンド・ハン国を建てた。遊牧民ウズベク族は、この周辺のイラン系住民、トルコ系遊牧民とも混合定住生活に入る。17世紀にはアム川以北の中央アジアのトルキスタン化は完成した。

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