定年後の読書ノートより

鷲田小弥太のよくわかる哲学のはなし、1999/4初版、東京出版
著者曰く、「哲学とは思考の技術である」。以下の言葉はこの本に書かれた鷲田氏の言葉を抜き出し、ストーリーとしてまとめたもの。

私は過去に、マルクス主義を信じ、マルクス主義的な分析に基いて、マルクス的な言説を展開していました。しかし1980年代に、マルクス主義は根本的に間違っているということに気付き、自分自身が間違った源泉は何なのか、そしてそれは、別の何によって克服されなければならないかを理論的に追求し、その結果を様々な形で公表してきました。哲学で立とうとするなら、誰にいわれなくても、そうしなければいけないのです。マルクス主義の仲間からは、お前は転向した、と言われました。俺達を裏切ったということになるのでしょう。しかし1991年に社会主義ソビエットが崩壊したとき、何の断りもなしに、かっての仲間のほとんどがマルクス主義をすててしまいました。最初に、自分で買ったマルクス関係の本まで捨てるのです。古本屋にたたき売るのです。」

私は、1980年代までは、社会主義のめざすこと(理想)はいいが、やり方(手段)が間違っていると考えていました。しかし社会主義の目標、理想も、社会主義の手段も全く間違っているということが、社会主義の崩壊の中で明らかになりました。社会主義では、社会主義が掲げる目標を実現できないだけでなく、もし実現しようとしたら、人間の住む事が出来ない世界が生まれてくるからです。社会主義は、人間が住み、生きる事が出来ない世界を目指しているということです。私の中で社会主義を観る見方が一変しました。社会主義はたんに欠陥のある思考ではなく、人間に不適合な思考であるということです

マルクス主義が魅力的だったのは、人々が夢に描いたユートピアを絶対に実現するのだという政治的な組織力と実行力、わけても意志力でした。他の勢力には、マルクス主義ほどの強固な力を持とうという意志はありませんでした。しかしこの魅力が周囲の人達を見誤らせたのです。

サルトルは、中国の歴史も現状も経済もほとんど知らず、中国人の気質も知らないで、中国人が言っている事だけを信じて、自分の観念を構築すると、中国の文化大革命を絶賛し、素晴らしいシステムだと宣伝しました。しかし文化大革命の実態は、毛沢東と劉少奇の権力争いでした。サルトルには、現にその社会がどういう状態なのか、具体的に知って自分の意見を基礎にする教養力に欠けていました。教養を持つとということが大切なのです」。

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