定年後の読書ノートより
哲学がわかる事典、鷲田小弥太著、日本実業出版、1992/11出版
マルクス哲学を大阪大学で長く研究してきた鷲田教授がソ連崩壊直後の混乱期にこんなことを書いている。

題して「哲学で社会主義の崩壊を考えてみる」。

曰く、マルクス主義とは生産手段の私的所有を無くし、経済的平等を確保する社会システムだ。失業と貧困を無くす為、計画経済をおこない、労働者国家を建設し、戦争と民族抑圧を無くす。要するに、自由、平和、平等、豊かさの理念を確保する為、共有制、計画経済、プロレタリア独裁、国際主義の手段を推進する.

ロシア革命以降その理念でいくつかの政治が進められた。その結果、国家権力を握ったのは一部の指導者のみであり、計画経済で失業は確かに無くなったが、貧困は無くならなかった。史上まれにみる専制国家が極めて長く人民を苦しめた。民族自決は踏みにじられ、マルクス哲学が国家哲学となり、思想、信条の自由は踏みにじられた。

この事実を前にして、社会主義の理念は正しかったがやり方がまずかったなどとは絶対に言えない。社会主義達成の政治手段一つ一つがまともに機能しなかったどころか、搾取と貧困、自由と民主主義の抑圧、民族抑圧等、社会主義理念とはまったく正反対の政治が長期にわたって社会主義の名の下に存在した。

社会主義の政治と経済のモデルは中央統制型の計画システムであり、軍隊や官僚機構にはピッタリだが、複雑な社会全体の組織を制御するには当然ながら人間の本性に合わないことは、すでにはっきり認識できた。人間の本性に合わない機構を、むりやり進めていけば必ず失敗する。

社会主義的理念を実現するとみなされた手段は、すべて理念を実現しないばかりか、反理念を実現するものであることが、明らかになった。 社会主義の行きついた先が、無駄であるどころか、悲惨きわまりない実態であった。

以上の事情は、社会主義は、マルクスの思考も含めて、根源的に間違っていたのではないか、という検討を迫るものです。

もし、マルクス主義者が、これに有効に応えることができなければ、社会主義の歴史は終わるべきです。社会主義は崩壊したなどと、解決済みのこととして、事態を捉えていると、社会主義の「夢」は何度でも復活し兼ねないことは私は今恐れている。

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