80歳の記

西川尚武

 80歳の誕生日を迎え、生涯の終末に立ちて思う。

思えば小学6年の秋、父を亡くし、5人兄弟の長男として貧困からの脱出こそが、生活最大のテーマだった。小学校を卒業すると母の元を離れ製菓工場の片隅で日夜働いた。幸い高校は東京の叔父・叔母のお力を頂き、大学は名工大授業料全額免除及び日本育英会奨学金給付も受け、苦しかった母の家計は僕のアルバイトによって全面的に浮上、当時のバイト料は公務員初任給相当額はあったろうか。母も弟達もその後は幸福に暮らした。

明治以降日本の資本主義を支えてきたのは繊維産業。専攻したナイロン高分子化学は面白かった。ナイロン工場操業開始、東南アジアへの海外技術サービス、呉羽紡績と東洋紡績の合併、全ては陽が当る青春の日々だった。

大学時代の恩師豊田研究所副所長野嵜長二先生から親切なお勧めも頂き、40歳を機に東洋紡から豊田自動織機に転職、糸を創る立場から、糸を紡出する繊維機械を創る立場に転職、随分多くの方々のお力も頂き、転職後は繊維機械技術部紡機設計課長を勤めさせて頂いた。

お陰で設計図面を片手に、国内外の紡績工場を飛び回り、益々繊維産業は面白いと我が人生選択を肯定し喜んだ。海外へは何十回出かけただろうか?  趣味は語学と水彩スケッチ。スケッチ仲間とは、その後も国内外あちこちへ一緒に絵を描きに出掛けた。

定年直前の1991年、トヨタは名駅前に「繊維と自動車」の産業技術記念館を創設することになり、英国、フランス、ドイツ、イタリア、スイスの主要博物館を担当重役と共に1ヶ月間くまなく訪問。博物館のテーマは「ものづくりの大切さ」と決定、1994年天皇陛下もお迎えし、今や500万人の見学者を集め、名古屋の観光名所にもなっている。

2008年名工大同窓会総会にて「マンチェスターの栄光と没落そして再生」と題し、「ものづくりの大切さ」をテーマに500名の名工大卒業生を前に1時間の講演をさせてもらった。講演内容はこのホームページにも載せています。是非ご覧下さい。

しかし当時を機に日本の繊維産業は急激に衰退の速度を速め、十大紡という言葉さえもう耳にすることも無くなった。

定年後、技術士国家資格が条件で、外務省JICA勤務、ウズベキスタン綿繊維産業復興に寄与、日本大使館のジープで、ウズベキスタン全繊維工場を訪問指導。現地はロシア語、若い頃、敦賀工場勤務時代ロシア語講座に1年間通い続けたのが、随分役立った。

技術士プレミアム付きで月収50万円、外務省パスポートを持てば税関フリーパス、往復共ビジネスクラス、機内ではわざわざ機長が席まで挨拶にみえ、宿舎はタシケント1流ホテル。当時の日本大使は中山恭子氏、何度も大使公邸にて御世話になり、タシケント工科大学教授会にも席を置き、工大学生達と何度も技術セミナーを開催、シルクロード歴史文化も詳しく現地現物で学び毎日が充実し楽しかった。

しかし、最愛の妻孝子、乳がんの為突然他界、65歳で受けた喪失のショックを癒さんと世界各地を旅行した。パリでは独りプチホテルにてフランス語のみを使って1ヶ月。ペルーマチュピチでは独りせっせと何枚ものスケッチを描き重ね、次男夫婦はヨーロッパの最高の穴場にいつも連れて行ってくれた。

今年80歳、自分は繊維産業技術者として生涯を終える。次男はIT産業を生涯の仕事に選び、東京大学、大学院電子工学科に学び、ソニーに勤務、次男夫婦は2人共TOEIC950の語学通、何度もヨーロッパへ一緒したが、2人の会話力はすごい。海外慣れを自負している自分も、2人には敵わない。

繊維産業の父親とIT産業の息子 どんな違いが出てくるか、今も愛情深く息子を見守っている。(20180530 誕生日に)

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