1960年   名工大3年  小生22歳 母45歳 姉24歳 次弟20歳 3男15歳  末弟9歳

 

大学3年になると、鶴舞公園にある名工大本部に通学、技術・工学系の講義ばかりになっていった。講義の中では、野崎長二先生の繊維工学特論が一番面白かった。多数本の繊維に撚りをかけていくと、やがて中央の繊維は外周に出ようとし、外周の繊維は中央に入ろうとする。これをマイグレーション現象という。何故こんな現象が発生するか。これを数学的手法で見事に解析していく先生の講義はとても興味深く熱心にノートを録った。野崎先生には、大学卒業後も個人的に随分とお世話になった。

 

東レ、帝人がテトロンを企業化、発売開始。ノーアイロンの性能が爆発的人気を高め、人々は合成繊維の素晴らしさに目を見張った。東レ、帝人は合成繊維によって莫大な利益を上げた。紡績各社は合繊への転換を急いだ。こんな背景から高分子化学の授業に人気が集まった。高分子化学の分野では、京大と九州大が理論的に学会をリードしていた。

 

1960年5月19日 安保反対国民運動の盛り上がりの中で、東大生 樺美智子さんが国会議事堂内で警察権力によって殺された。国民は激しく怒り、岸内閣打倒を叫び、国会は連日デモ隊によって包囲された。名古屋でも、機動隊は学生に襲いかかり、多くの学友達が逮捕・拘留された。我々自治会執行部は連日学内に泊まりこみ、警察に逮捕・拘留されている学生の支援やら、一般学生に授業放棄、デモ参加を呼びかけ、忙しく立ち回った。 勿論、自分自身もいつ警察に捕まるか、覚悟して行動する毎日だった。母は心配そうに そんな息子を遠くから眺めていたが、何も言わなかった。幸いにして自分は最後まで警察に逮捕されることはなかった。

 

秋になり、世の中が落ち着いてくると、池田内閣は「国民所得倍増計画」を発表し、所得を倍増させて見せると約束した。技術革新がどこでも叫ばれ、全学連はこれを日本帝国主義の復活と単純に決め付けたが、日本共産党はアメリカに追従する日本資本主義の復活と規定し、全学連は間違っていると非難した。すなわち日米軍事同盟の意味、及びいまだ健在な民主勢力の存在を評価し、交戦権放棄を規定した憲法第九条の存在は、現実に進行しつつある軍事力増大に一定の制限を課しているとし、民主勢力の前進に期待する見方を示した。

 

 

大学の帰りには、鶴舞図書館に通い、文学、哲学、社会科学の本をむさぼるように読んだ。当時の読書ノートを紐解くと、文学の分野では、ロマン・ローランのジャン・クリストフ、レマルクの凱旋門、ドストエフスキーの罪と罰、スタンダールの赤と黒、トルストイのアンナ・カレニーナ、マルチン・デュガールのチボー家の人々、ヘミングウエイの武器よさらば、ゴーリキーの母  A.スメドレーの偉大なる道、パール・バックの大地、D.H.ローレンスの息子と恋人、ミッチェルの風と共に去りぬ、ゲーテの若きウェルテルの悩み、等、もう60歳を過ぎた現在の自分では、到底最後まで読みきる根気が続かない長編作品にも次々と挑戦・感動し、几帳面に常に読書ノートを作り、読後感を整理していたのが懐かしい。今でもこれらの読書ノートを読み返すと大変面白い。

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